アルプスと平和の国⑧ スイス建国の地(1)

伝説の英雄ウィリアム・テルの銅像があるアルトドルフは、ウーリ州ですが、ウーリ州、シュヴィーツ州、ウンターヴァルデン州の、この3つの州は、「ヴァルトシュテッター(森の州)」と呼ばれ、スイス建国の母体となった州です。

この3つの州のよって、スイス建国の誓約がなされたのは、1291年8月1日の事です。

誓約が行われた「リュットリの野」は、スイス発祥の地と呼ばれています。

それまで神聖ローマ帝国の領地であり、ハプスブルク家が代官を置く事によって、統治されていた3つの州は、ハプスブルク家に対して独立の抗争を挑みました。
その独立を巡る物語が、ウィリアム・テルの伝説です。

テルはウーリ州の代表者とされているのですが、実在の人物だったかどうかは分かりません。
ですが、スイス人にとっては「建国の父」であり、英雄である事に変わりはありません。

3つの州の見どころは、やはり建国の歴史や伝説にまつわる史跡のある街、史跡巡りという事になります。

まず、スイスという国名の由来にもなりましたが、シュヴィーツ州のシュヴィーツという街です。
そして、ウィリアム・テルゆかりの街として、一番有名なのが、ウーリ州のアルトドルフです。
ウィリアム・テルの物語で「息子の頭の上に乗せたリンゴを弓で射抜く場面」がありますが、その舞台となったのが、この街の市庁舎です。




アルプスと平和の国⑦ スイス建国の父ウィリアム・テル(2)

ウィリアム・テルの野外劇場があるインターラーケンは、ベルン州ですが、ウーリ州にはアルトドルフがあります。

そしてこのアルトドルフにも、「ウィリアム・テルの劇場」があります。

アルトドルフの市庁舎広場には、テル親子の銅像が立っています。
アルトドルフは、「ウィリアム・テルの物語」の有名なシーンで、息子の頭に載せたリンゴを、テルが矢で射抜く場面の舞台です。

マルクト広場で起きた出来事とされていて、1895年に、この精巧なブロンズ像が立てられました。
銅像には、1307年とあるのですが、これは何の日なのでしょうか?

市庁舎広場を背に左へ行き、歩行者天国の通りを進むと、「ウィリアム・テル劇場」があります。
その中には、観光局も入っています。

1899年に、フリードリヒ・フォン・シラーの演劇「ウィリアム・テル」を上演するために、市の中心部の近くに、この劇場が開館しました。

アルプスと平和の国⑥ スイス建国の父ウィリアム・テル(1)

スイス建国と言えば、スイス建国の父と呼ばれるウィリアム・テルが有名です。

ユングフラウ地方にあるインターラーケンには、「ウィリアム・テル野外劇場」があるようです。
インターラーケンには何度も行った事があるのですが、この劇場には行った事がありません。

ウェスト駅の駅前通りから、セントラル通り、ユングフラウ通り、ハウプト通りと進むと、劇場があるようです。
森を舞台に木造小屋と広場があり、毎年「ウィリアム・テルの物語」がお芝居で上演されているようです。

出演者は約200人ほどで、出演者は全員、地元の住民だそうです。
1912年から受け継がれて来た伝統のあるお芝居という事です。
日本語のプログラムもあるという事なので、今度インターラーケンに行った時は、ぜひ見学したいと思います。

「ハウプト通り」という事なのですが、グリンデルワルトの駅前にも、ハウプト通りがあります。
インターラーケンの「ハウプト通り」と、グリンデルワルトの「ハウプト通り」と、同じ通りなのでしょうか?

スイスがハプスブルク家に支配されていた頃、自分の帽子に頭を下げなかったテルに怒ったハプスブルク家の役人が、テルの小さな息子の頭に載せたリンゴに、自分で矢を放つ罰を与えました。

テルは見事にリンゴを射ち落としたと言い、建国の英雄とされているのですが、実在は証明されていません。



アルプスと平和の国⑤ 国際機関による抑止力

スイスは永世中立国ですから、全国民が兵士と言えるでしょう。

スイスは伝統的な永世中立国で、どの国の味方もしない代わりに、戦争時には自国のみで戦わなければなりません。

このために、防備が固く、ヨーロッパ屈指の重武装国家でもあります。
常備軍はないのですが、国民皆兵制で20~30歳の男子には兵役義務があり、退役後も予備役か民兵に所属するシステムです。

非常時には、48時間以内に、22万人の動員が可能とされています。


また国際機関の本部が集まっており、がっちりとスイスをガードしています。
国際都市ジュネーヴには、世界保健機構(WHO)の本部があります。

中立国という理由、立場から、国連、赤十字委員会、国際オリンピック委員会、国際サッカー連盟など、多くの国際機関の本部が集まります。

国際機関の誘致は、他国の攻撃から、スイスを守る防壁であり、抑止力となっています。


国際都市ジュネーヴと言えば、国際都市という位ですから、聞いた話によると、今では住民の約40%が外国人という事です。

またジュネーヴは、大きな噴水「ジェット噴水」が有名ですが、街のシンボルとなっています。
1891年、スイス建国600年記念に造られた大噴水で、約140mの高さまで、一直線に水を噴き上げています。




アルプスと平和の国④ 武装中立の国

スイスは、20歳以上の男性には徴兵制度があります。

20歳の時に15週間の訓練を受け、その後36歳まで数年ごとに、十数日間の講習を受けて、通算で260日間の兵役につく事になっています。

核シェルターは、少し前まで新築や改築の際に義務付けられていた事もあり、普及率が100%に近いと言います。

20歳で訓練を終えた人は、銃を自宅に保管しています。
ただし現在、弾丸は軍で管理しています。

スイスは「非武装中立」ではなく、軍事力を持つ事によって、独立と自由を守ろうとしているのです。

また「永世中立」とは、自らは戦争を仕掛けず、参戦もしない事を宣言したものですが、一方的な宣言ではなく、中立条約を結んでいる他国によって、中立と独立を保障されています。

ある国がスイスに攻め込んで来たら、中立を保証した国は、スイスのために協力して排除する義務を負うのです。

アルプスと平和の国③ 永世中立国スイスの歴史

スイスは、もともと小さな州(カントン)を政治単位にしています。

そのうちのウリ、シュヴィッツ、ウンターヴァルテンの3つの州が連合し、ヨーロッパの名門王家だったハプスブルク家に戦争をしかけた事から、独立戦争が始まりました。

そして15世紀末に独立し、1648年に国際的に承認され、1815年のウィ-ン会議で永世中立が認められました。

スイスは、第一次世界大戦後に出来た国際連盟に加盟しましたが、中立を掲げながら多くの国際問題に対応する事は難しく、第二次世界大戦後、新しく出来た国際連合には、すぐには加盟しませんでした。

2002年に国際連合に加盟したものの、EU(欧州連合)やNATO(北大西洋条約機構)には加盟せず、通貨のユーロも導入していません。

アルプスと平和の国②

スイスは山国のため耕地がほとんどなく、昔は穀物が取れず、貧しい国でした。
若者は傭兵としてヨーロッパ各地に出稼ぎに行っていましたが、その名残りで、今もバチカン市国の衛兵はスイスが行う事になっています。

現在は、ほかに観光業、金融業、機械、電子機器、化学製品などが有名です。
古くから精密機械工業で知られ、特に時計では、世界的に知られたメーカーが幾つもあります。

スイスの時計というと、壁掛けのシャレーの小屋の時計が有名ですね。
スイスの特産品は国民性を表しているというか、とても繊細で正確で、デザインも良く、品質も良く長持ちします。

製品によっては、一生使えるんじゃないでしょうか?

私は個人的には、スイスの特産品の中では、刺繍製品、レース、木彫りなどの手工芸品、オルゴールが好きです。

アルプスと平和の国①

2014年は、日本とスイスが友好通商条約を結んでから、実に150年という年月が経ちました。
ですから今年は、日本とスイスの国交樹立150周年記念という事で、様々なイベントが行われています。

日本は敗戦後、民主主義の平和な現在の国を築きましたが、スイスはやはり敗戦がきっかけだと思われるのですが、国民皆兵の義務があり、家には銃を保管し、核シェルターが義務付けられています。

日本は敗戦後、「武器は持たない」「戦争はしない」という事によって平和を実現しましたが、反対にスイスは敗戦をきっかけに、周りをたくさんのヨーロッパ諸国に囲まれているスイスは、「いざという時には自分達の国は自分達で、平和は自分達で守らなければならない」と思ったのかもしれません。

スイスは日本のように、「非武装中立」ではなく、軍事力を持つ事によって、平和を守ろうとしています。

また日本は戦後、目覚ましい復興を遂げて経済大国になりましたが、スイスもその昔、若い人達の尊い血の代償として、外貨を稼ぎ、そのお金で銀行業、金融業が発達し、現在のような豊かな国を築いたという歴史があります。

ですから日本とスイスは、それぞれに平和で豊かでも、全く違った歴史と方法で平和と豊かさを築いたと言えるでしょう。

スイスは、ドイツ、フランス、イタリア、オーストリア、リヒテンシュタインの5カ国に囲まれた内陸国として、アルプスの美しい景色で知られています。

「永世中立国」としても有名で、多くの国際機関の本部があります。
人口は愛知県と同じ位で、面積も日本の九州より少し大きい位です。



スイスとオーストリア

当時の旅行ガイドブックは、スイスとオーストリアがセットになって、旅行ガイドブックとして売られていました。ですからスイスの旅行ガイドブックを買えば、当然オーストリアについても載っています。

またスイスとオーストリアの間にある小さな国、リヒテンシュタインも一緒に掲載されています。

オーストリアのガイドブックの写真集を見ていて、子供心に特に印象に残ったのが、チロル地方でした。スイスと同じように美しいのです。

そしてガイドブックや写真集だけではなく、オーストリアの風景を目に見えるようにしてくれたのが、映画「サウンド・オブ・ミュージック」でした。
後になって、クリスマスの時に歌う、あの有名な「きよしこの夜」が生まれたのもチロル地方だという事を知り、スイスだけではなく、ますますオーストリアを訪ねたいという思いが強くなりました。

オーストリアは、スイスと同じ永世中立国です。

こうして一冊の児童文学からスイスに憧れ、スイスへの憧れは隣国のオーストリアへ、
やがてスイス、オーストリアの憧れから、ヨーロッパ、北アメリカ、オセアニアと、興味と関心は広がって行きました。

現在はスイス、オーストリアを中心にヨーロッパ、北アメリカ、オセアニアの地理や歴史、文化、文学などを学んでいます。

スイスとの出会い

私は中学2年生(14歳)の時に、一冊のスイスの児童文学と出会いました。

その一冊のスイスの児童文学がきっかけで、スイスという国に興味、関心を持つようになりました。

「スイスって、どんな国なんだろう?」 

ふと、そう思った私は、ある時、地元の書店の旅行ガイドブックのコーナーに行き、スイスの旅行ガイドブックを手に取ってみました。

表紙はアルプスの山と、美しい花の咲き乱れる緑の草原でした。
ガイドブックの写真を見て感動しました。

サンモリッツ近郊のシルヴァプラナ
エンガディンの山村とイン川のほとり
グリンデルワルトの町から見たヴェッタ-ホルン
インターラーケンとその間のトゥ-ン湖、ブリエンツ湖
トゥ-ン湖畔の町シュピーツ、ブリエンツのロートホルンのSL
クライネ・シャイデック
ツェルマットの町とマッターホルン

「なんて綺麗なんだろう」

私は思わず、その手に取った一冊のスイスの旅行ガイドブックを購入し、家に帰って見続けました。

こうして当時まだ中学生だった私は、スイスという国に憧れを抱くようになりました。
そしていつかスイスに行ってみたいと思うようになりました。

やがて大人になり、子供の頃に抱いた夢が実現し、スイスへ行きました。
飛行機がスイスに近付くにつれて、飛行機の窓から見える、雲の間から見えるスイスの景色に胸を躍らせました。
子供の頃からの憧れだったスイスに、とうとう来たのです。
夢ではなく、とうとう本当に着いたのです。

訪れたのは、インターラーケンやグリンデルワルト周辺のユングフラウ地方でした。
スイスで私は、まるで子供のように走り回りました。
実際に今、スイスにいる事が嬉しかったのです。
ガイドブックの写真などではなく、現実にスイスの大地を、自分の足で踏んでいるという事が嬉しかったのです。
旅行ガイドブックで眺めていた写真の場所が、そこにあるのです。現実に目の前にあるのです。

実際にスイスを訪れてみて、旅行ガイドブックの写真以上に、美しい綺麗な国でした。

時間の経つのは早いものです。
初めてスイスを訪れた時から、あれからもう7回もスイスを訪れています。
何度でも行きたくなる、そんな魅力がスイスにはあります。

7回もスイスを訪れて、

「何回来ても綺麗な国だなぁ、こんな所に住めたら幸せだろうなぁ」

そう思いました。

もちろん「ずっとスイスに住み続けるという事」ではなく、「日本とスイスを行き来して」という形ですが、やがて本当に住む事になるとは、この時はまだ知りませんでした。