日本・スイス 国交樹立150周年記念 スイスと日本 連詩の朗読会

日本とスイスの国交樹立150周年を記念して、様々な行事が行われており、そのうちに1つである「スイスと日本の連詩の朗読会」に行きました。

4月2日の19時より、六本木の国際文化会館の講堂で行われました。

日本の詩人とスイスの詩人が、36篇の詩を読み上げるというものです。

1時間半ほど、連詩の朗読が行われ、その後は質疑応答なども行われました。

長い間に渡ってスイスで日本学を教えてきたチューリッヒ大学の名誉教授であるエドゥアルド・クロッペンシュタイン先生を中心に、スイスと日本の詩人が、1つの詩から連想される詩を交互に作っていくというものです。

クロッペンシュタイン先生が日本語からドイツ語に翻訳し、ドイツ語から日本語へは松下たえ子さんが翻訳されました。

スイスの詩人はクラウス・メルツさん、ラファエル・ウアヴァイダーさんで、
日本の詩人は谷川俊太郎さんと覚和歌子さんでした。

クロッペンシュタイン先生は、日本文学を中心に現代詩を学び、連詩の本に出会い研究を始めたとの事です。
「ミニマン」という詩集が秋に出るという事なので、読んでみたいと思います。

谷川俊太郎さんの事は、良く知っていたのですが、覚和歌子さんの事はあまり良く存じ上げなかったのですが、自己紹介の中で、作詞家で自由詩も書かれるとの事で、

映画「千と千尋の神隠し」の作詞家と聞きましたので、「いつでも何度でも」という主題歌は、当時良く耳にしました。

朗読会の後の質疑応答で知ったのですが、スイスはドイツ語、フランス語、イタリア語、ロマンシュ語の4つの言語が公用語で話されているという事は知っていたのですが、昔からなのか、今現在はなのかは分からないのですが、ヨーロッパの中でも外国人が多い国なので、4つ以上、10~16以上の言語があるとの事でした。

また大勢の人が、スイスがスイス的ではなくなって来たという事を嘆いており、その事が社会問題にもなっているとの事です。

テレビでも見たのですが、温暖化の影響で、氷河が年々、だんだん解けてしまっているという事、日本人観光客も含めて、外国人観光客も増えて来ているという事、外国人居住者も増えて来ているという事、

ジュネーヴでも40%は外国人だと聞いています。

40年以上も前のグリンデルワルトの写真を見た事もあるのですが、確かに昔のスイスとは雰囲気も違ってしまっているようです。
それが外国人が増えた、日本人観光客が増えたという事も、理由の1つにあるのだとすれば、スイスに旅行し、滞在する私も外国人、日本人であり、その原因の1つになってしまっているのだろうと思います。

スイス・時計の展覧会 時を知る 時計の歴史 日時計の誕生から最新の複雑機構への歩み

2月11日には東京・六本木で、時計の展覧会がありました。
スイスの時計の展覧会でした。

スイスは時計の国ですが、スイスの主要産業でもある時計は、日本人の愛好家も多く、

「時を知る 時計の歴史 日時計の誕生から最新の複雑機構への歩み」という展覧会が、2月7~12日まで行われました。

スイス時計の普及を目的とする「高級時計財団(本部スイス)」が主催しており、歴史的にも価値の高い貴重な時計が、約100点ほど展示されていました。

「高級時計財団」は、2005年に、スイスのジュネーヴで設立されたとの事です。

時計と歴史の専門家の方も来日しており、時計の歴史やスイスの時計について、また日本の時計とスイスの時計との関係や、時計文化の比較、違いなど、実際に展示されている時計を見ながら、詳しく説明していました。

スイスは山の国ですが、アルプス山脈が6、7割で、あとはジュラ山脈と言われています。
当然、ジュラ山脈の当たりをジュラ地方と言うようですが、ジュラ地方と言うとフランスに近い方の地域です。

展覧会では主に、フランス語圏のヌーシャテル州にある「ラ・ショードフォン」の時計が展示されていたのですが、ラ・ショードフォンは時計産業の町で、世界遺産になった町なのです。

この町にある「国際時計博物館」には、実に4000ほどの時計が展示されているとの事です。

16世紀の宗教改革期に、フランスの新教徒(プロテスタント)がスイスに逃れて来て、ジュラ地方に入って来たそうなのです。
そしてその時に、フランスの職人が時計の技術を伝えたのだそうです。

やがて時計産業はオルゴール産業と結び付いて、スイスの伝統的な工芸品として発達したとの事です。

ジュラ地方と宗教改革、工芸品が、歴史的に繋がっているとは、初めて知りました。
(スイスは宗教改革によるプロテスタント発祥の地で、迫害を逃れてアメリカに渡ったアーミッシュの発祥にもなった国だと聞いています)

日本・スイス 国交樹立150周年記念 スイスデイズ③

ワイン、チーズ、チョコレート、コーヒー、スイス料理などの食文化のほかに、時計、アーミーナイフなど、様々なブースを見て歩きました。

写真を撮れるブースや、小さなロッククライミングのコーナーがありました。
このロッククライミングのコーナーは、「モンベル」というスポーツ店が出していて、スイス現地のグリンデルワルトにもお店があります。
現地のお店に行った際に聞いたのですが、創業者の方がアイガーに登攀して、「スイスにはお世話になったから」と言って出店したそうです。
グリンデルワルトに行った際に、現地の日本人に勧められて、水筒と散策用に靴を買いました。
次回またスイスに行く時に、グリンデルワルトに寄った際には、モンベルに行きたいと思います。

スイスと言えば登山やハイキング、ウィンタースポーツが有名ですが、サッカーも強いのです。

写真を撮れるコーナーには、スイス旅行の案内のパンフレットも置いてありましたが、スイス政府観光局のブースだったと思います。スイスのハーブキャンディーを頂きました。

最後はスイスから来日したスイスの歌手が歌を歌い、楽器を演奏していました。
長いアルペンホルンの演奏もありました。

会場にたくさんの人が集まり、歌と演奏を聴いていました。

イベントの終わりに司会者の方が、イベント終了の挨拶をすると、会場の後ろにあるパノラマに、スイスのクライネ・シャイデックやユングフラウ、スフィンクス展望台などの映像が映し出されました。

大雪のため、スイスデイズには、1日しか参加出来ませんでしたが、とても良かったと思います。

このスイスデイズを始め、今年は「日本とスイスの国交樹立150周年」を記念して、様々なイベントが催されると思います。

今年1年を通して行われる行事には、なるべく参加して行きたいと思います。
日本とスイスが今後も、良い関係を続けて行ければと思います。

日本・スイス 国交樹立150周年記念 スイスデイズ②

スイス大使館が主催で、スイスの企業や団体が、たくさんのブースを出展しており、食文化のコーナーでは、スイスのチーズ、チョコレート、コーヒー、スイスワイン、ソーセージなどのスイス料理があり、

特にスイス料理とチーズのコーナーにはたくさんの人が並んでおり、熱してトロトロにしたチーズを、茹で立てのジャガイモに絡めて食べる「ラクレット」のコーナーは、すごい行列でした。

ワインのコーナーも人がたくさんいました。
生産量が少ない貴重なスイスのワインは、白ワインが多く、国内だけでは消費量が間に合わず、輸入しているとの事でした。

レマン湖周辺のブドウで作ったワインという事で、試飲出来ましたので、赤ワインを試飲してみました。やっぱりスイスに行って飲んだ時と同じ独特のある濃いような味でした。

スイスのワインは独特の味で、あっさりしていないので、前から「どうしてスイスのワインはどれを飲んでも同じような癖のある味なんだろう?」と思っていましたので、味について質問してみると、スイスのワインはどれも、ブドウが取れる土地の地質上の問題で、ミネラルが多く、舌の奥にいつまでも残るような、濃い感じの癖のあるワインという事でした。

スイスの時計、アーミーナイフなどのコーナーもありました。

スイスと言えば有名なオルゴールや刺繍、木工製品などはありませんでした。
またラクレットはありましたが、チーズフォンデュその他もありませんでした。

ほかに民族楽器アルペンホルンを使った演奏会や、伝統的なシュビンゲン(スイス相撲)の試合も行われていました。

日本・スイス 国交樹立150周年記念 スイスデイズ①

2月6~9日まで、六本木で「スイスと日本の国交樹立150周年」を記念して、スイスデイズが行われました。

日本とスイスが「修好通商条約」を結んだのは、1864年2月6日の事で、今年は記念すべき「国交樹立150周年」です。

スイスデイズの初日が6日なのも、そのためだと思いました。

私は最終日にスイスデイズのイベントに行きました。
本当は8日に行こうと思っていたのですが、大雪のため交通機関がストップし、行けなくなってしまったのです。
次の日も雪が積もっているでしょうから、「1日くらい参加したかったけど行けないかな?」と思っていましたが、次の日は晴天で何とかイベントに行けそうでした。

しかも雪に太陽の光が反射して、かえって眩しいくらいのいい天気でした。

私は午後、「数時間でもイベントに参加出来ればいいな」と思い、六本木へ行きました。
会場へ着いたのは午後15時でした。

会場に入るとスイスの有名企業や団体が、たくさんのブースを出展していました。

スイスと日本との姉妹都市 交流一覧

日本の都市でスイスの都市と姉妹関係を結び、親しく文化の交流を深めている所があります。


スイスの提携都市          日本の自治体        提携年月日

サン・モリッツ             倶知安町(北海道)     1964年3月19日

グリンデルワルト           安曇村(長野県)       1972年4月20日

インターラーケン           大津市(滋賀県)       1978年10月1日

マイリンゲン              弥栄朝(京都府)       1991年3月16日

モントルー               千葉市(千葉県)       1996年5月28日

ツェルマット              妙高高原町(新潟県)    1997年5月24日


※これ以外にも、スイスと日本の提携都市はたくさんあります。


私もこれまでに何度もスイスへ行きましたが、アルプスの山並み、国旗の下を走る路面電車、ジュネーヴの裏通り、夜景、チューリッヒのフラウミュンスター寺院・・

自然も街も、電車も夜景も、裏通りも、何から何まで綺麗で整っていて美しい国でした。


スイス 環境問題③

スイスの環境問題に対する取り組みは、とても積極的です。

びんは、きちんと洗って色別に分けてびん置き場に持って行かなければなりませんが、そのために各家庭では、青、茶、白、ワインボトルなど、各々の置き場を準備しています。

また、その他の不燃物は、アルミ缶、スチール缶、金属、機械類、プラスチック、発砲スチール、ペットボトル、電池、古着、リサイクル可能な紙類という風に、大小様々な箱に分けて入れておき、週に一度回収ボックスへ運びます。

燃えるゴミ、肥料に再生可能な緑のゴミなどは、有料の場合が多いです。
回収所には監視人がいて、ちゃんと分別されているかどうか、きびしくチェックされる事もあります。

これを日常的に行うのは、大変な事のように思われますが、スイスでは、各個人が自ら進んでゴミ処理を行っています。

それは、小さい時から家庭や学校で徹底的に始動されているからです。
また、ゴミ処理の仕方を守らないと相当高い罰金(何十万円という高額)を払わされる事も、理由の1つかもしれません。

ですから、徹底したゴミの分別です。


※スイスでは、ほとんどのペットボトルにデポジットマークが付いています。
子供達は、デポジット制の返金システムで戻って来るお金をお小遣いにする事もあります。
そのため容器を圧縮機付きの回収ボックスへ持って行く子供達の姿を良く見掛けます。

日本では、ペットボトルや空き缶のデポジット制導入に関しては議論を呼んでいますが、一部の観光地では実際に導入されています。

(デポジット制というのは、飲料などを販売する時に、あらかじめ一定の金額を上乗せして、空の容器を返せばその金額を返却する制度の事です。

実際に静岡県熱海市には空き缶回収機が設置されています)

スイスの税金

「州によって異なるスイスの税金」

税率の率が州によって違って来るのがスイスの特徴の1つです。
どれほど税率が違うかというと、例えばツーク州で納税額が年間で収入の7%の人は、ベルンに行くと21%になってしまいます。つまり3杯も違う事になります。

どうしてこのような事になるのでしょうか?
それはスイスは、24の州に自治権があり、独自の憲法と法律を持つ、いわば小国家の集まりだからです。


※スイスの通貨の単位は、スイスフランです。
1スイスフランは、約120円です。

スイスは政治的にも、金融的にも安定している上に、伝統的に預金者の機密を守る姿勢を取って来たため、国際的な金融の中心地となって来ました。
チューリッヒがスイスの銀行の本拠地となっています。

しかし最近、国際的な圧力を受けて、スイスは伝統的な銀行の秘密主義を緩めています。
預金の不法取得や運用に疑いのある場合、外国の調査員が銀行の書類を閲覧する事が出来るようになりました。

スイス 中立とEU(欧州連合)

「EU(欧州連合)に加盟していないスイス」

1815年永世中立国に承認され、その後、ヨーロッパ国家間の勢力のバランスを保つ上で重要な役割を果たして来たスイスですが、今まさに大きな岐路に立たされています。

つまりEUに参加するか、しないかという問題に直面しているのです。

EUに参加せずに自立の道を推し進めれば、経済的に、貿易・通貨の問題を含め、現在のヨーロッパから孤立する事になると言われています。

EUへの参加についての是非を問う国民投票はまだ実施されていないようですが、1992年12月に行われたEEA(Europe Economic Area=ヨーロッパ経済区域)への参加投票で、国民の意見が真っ二つに割れるという事がありました。

結果的には小差で不参加という結論に達した国民投票ではありましたが、この投票はEU参加に対するこ国民の声であったとも言われています。

はたして、今後もスイスはEUへ参加せず、独自の道を歩き続けられるのでしょうか?

スイス略年表

 (西暦)                             (スイス)


紀元前400年頃     ケルト人の定住

紀元前1世紀       ローマ帝国の支配下に入る

5世紀              ゲルマン人の定住

1291年          スイスの始まり(3地域の永久同盟)

1618年
 

  ↓             30年戦争(各地の諸候を巻き込む国際戦争)


1648年          ウェストファリア条約で神聖ローマ帝国から独立

1674年          武装中立宣言

1815年          ウィ-ン会議で永世中立が承認される

1945年          国際連合に非加盟を決定

1971年          婦人参政権を承認

1986年          国際連合加盟を国民投票で否決

1993年          EU(欧州連合)加盟の機運高まるが、現在未加盟

  

スイスの歴史②

「永世中立国の誕生」

ナポレオン時代が終わりを告げた1815年、ウィ-ン会議が開かれました。
会議の席上で、スイスは「永世中立」を諸国に要請し、正式にその「永世中立」が国際的に認められました。

※永世中立とは、国際法上、他の国々の戦争に関与できないと同時に、自国の独立と領土の保全が、他の国々によって保障されている状態の事です。

ルツェルンには「ライオンの記念碑」があります。
スイスの自治を守り、国の貧しさを補うため、他国の兵士となって戦って死んだスイス人兵士を追悼するため、1821年に作られました。

第一次・第二次世界大戦では、ヨーロッパが戦場になったが、両大戦ともスイスは中立を守りました。ですが、人々は経済的困難と戦わなければなりませんでした。
今日ではスイスの政治は安定し、その安定を背景に経済も好調で、1人当たりの国民総生産は世界のトップレベルにあります。


「工業化への道」

20世紀に入るとスイスは工業国となりました。
伝統産業や機械・化学工業が発達し、機械輸出額では20世紀初頭の最先進国イギリスを抜くまでになりました。
また銀行や保険業も大いに伸び、スイスの銀行の地位は世界的に不動のものとなりました。

スイスの歴史①

「地域による言語の違い」

今のスイスの辺りには、古くからケルト系の部族が住んでいましたが、紀元前1世紀頃にローマ帝国の支配に置かれるようになります。

今日話されているロマンシュ語の起源はここに始まります。

5世紀に入るとゲルマン系の部族が定住するようになり、現在のドイツ語がフランス語を話している人々の先祖となりました。


「スイスの始まり」

11世紀頃から、スイス地域は神聖ローマ帝国の支配下にありました。
1291年、神聖ローマ帝国に対抗するため、3つの地域が永久同盟と呼ばれる軍事同盟を結びました。これが今日のスイスの始まりだとされています。


「宗教戦争と独立」

宗教改革の動きはカトリックとプロテスタントの対立を招きました。
そして、ヨーロッパ全土に30年(1618~48年)にも渡る宗教戦争の嵐が吹き荒れました。
スイスはこの戦争で武装中立を貫き、1648年に戦後処理を決めたウェストファリア条約で、神聖ローマ帝国からの分離独立が国際的に認められました。
1674年には外交の基本として、武装中立を宣言します。

スイス 基礎知識

正式名称はスイス連邦と言います。

国旗は「赤字に白十字」です。


(国際政治)

1648年、ウェストファリア条約により、神聖ローマ帝国から独立し、中立の立場を宣言しました。
1815年、ウィ-ン会議で、永世中立国である事が、国際的に認められます。

(国土)

アルプス山脈とジュラ山脈の間を、ミッテルランドと呼ばれる中央平野が、平均標高580mの高さで広がります。
国土の総面積は4万1284.6平方キロで、日本の九州とほぼ同じ位の大きさです。
最高点はデュフォール主峰の4634mで、最低点はマジョーレ湖面の193mです。

(人口)

スイスの全人口は、約804万人です。
そのうちの約140万人が外国人で、全人口の約20%にも及びます。
ジュネーヴでは、外国人居住率が約35%を占めています。
また、人口の68%が中央平野の都市地域に集中しています。

(言語)

スイスには4つの言葉があります。
最も多いのがスイス方言のドイツ語で約75%、ついで話されるのがフランス語で20%、そしてイタリア語の4%、最後はロマンシュ語の1%です。
ロマンシュ語は、ラテン語を語源とする独立言語で、国民投票で第4の公用語として認められました。

(宗教)

ほとんどがキリスト教です。
キリスト教徒の割合は、ローマ・カトリック教徒が約48%で、プロテスタント教徒が約44%です。

スイスの言葉

グーテンターク(ドイツ語)

ボンジュール(フランス語)

ブォンジョルノ(イタリア語)

ブン ディ(ロマンシュ語)

全部「こんにちは」という意味です。
スイスでは4つとも公用語として使われている言葉です。

言葉が4つもあるなんて、スイスで暮らすのは大変そうですが、みんなが4つの言葉全てを話すのではなくて、地域によって話す言葉が違っているのです。

スイスのドイツ語には、さらに「スイス・ドイツ語」という標準ドイツ語とは違う、スイス独特のドイツ語があります。

スイス 姉妹都市交流

スイスのグリンデルワルト村と長野県の安曇村(あずみむら)とが姉妹都市提携をしています。

「1972年4月に提携」

これまで安曇村ではグリンデルワルト村にスキー教師を派遣したり、村民を派遣したりして来ました。またグリンデルワルト村からの訪問も受けて、お互いの村の理解を深めて来ています。

1985年から始めた中学生の派遣も、すでに5回行われました。
子供達の交流体験や残した訪問記録は、学校全体の国際理解を高める事に役だっています。


※スイス災害救助犬

交流と言えば、スイスの災害救助犬があります。
災害救助犬というのは、ガレキの下などから人間を探しだすように訓練された犬の事です。
スイスは、この分野では優れた実績を持っています。
阪神大震災の時には、スイスの災害救助犬チームがいち早く駆け付けて、活躍しました。
これ以降、遅れていた日本の災害救助犬に対する認識が、少しずつ高まって来ています。



日本で見つけたスイス②

スイスと言えば・・


「スイスの時計」

スイスと言えば、時計が有名です。
ローレックスやオメガ、ラド-などの高級時計メーカーはスイスの会社ですし、大人にも子供にも人気のスウォッチもスイス製です。

かわいい子供用の時計もあり、子供用の腕時計も種類が豊富です。


※「青少年赤十字」とは、幼稚園、小・中学校などで、学校や学年、クラス単位で参加して、学校の先生が、赤十字社から提供を受ける資料を使って指導をして行う赤十字活動の事です。

青少年赤十字では、3つの実践目標を掲げています。

1.健康・安全・・生命と健康を大切にする

2.奉仕・・人間として社会のため、人のために尽くす責任を自覚し、実行する

3.国際理解・親善・・広く世界の青少年を知り、仲良く助け合う精神を養う

「青少年赤十字」の活動は、日本では1922年に始められました。
加盟している学校には、「赤十字に周りを白い星で囲むマーク」が付いたポスターなどが配られます。
世界176か国に広がり、日本でも9789校・約230万人の子供が、青少年赤十字のメンバーになっています。
子供達は、老人施設の訪問、お見舞いをしたり、ネパールの小学校に綺麗な水を供給するなどの活動を行っています。

日本で見つけたスイス①

スイスと言えば・・


「アルプスの少女ハイジ」

スイスの女流作家、ヨハンナ・スピリ原作の「アルプスの少女ハイジ」は、1974年(1~12月まで)テレビで放映され、当時の女の子たちに大人気でした。
今でもマンガやビデオの人気は高いです。

(あらすじ)

幼い頃に両親を亡くして1人になってしまったハイジは、アルムの山に住むおじいさんへ預けられます。
素直で優しい心を持つハイジは、毎日自然の中を元気に駆け回り、閉ざされていたおじいさんの心を開きますが、ある日ハイジは大都会に住む1人ぼっちの足の不自由なお嬢様、クララと一緒に暮らす事になります。
毎日山に帰りたいと思いながらも、ハイジはクララとの友情を深めて行きます。


「ウィリアム・テル」

この話は詩人で劇作家のシラーによって19世紀初めに作品化され、世界中に広まりました。

(あらすじ)

ウィリアム・テルは、スイス建国にまつわる伝説の英雄です。
その昔、ウィリアム・テルが住む村を支配していた代官は、いつも威張ってみんなに嫌われていました。
ある日、代官は命令に従わないテルに腹を立て、テルの息子の頭にリンゴを乗せ、それを遠くから矢で射るように、テルに命令します。
見事成功するのですが、再度捕えられたテルは、護送される時、嵐に乗じて逃亡し、代官を矢で殺します。
これを機にスイスの人々が立ちあがり、圧制者に迫り、平和な国づくりに励むようになりました。

スイスの環境問題②

「スイスのゴミ箱」

スイスでは、それぞれの州ごとにリサイクルのシステムが徹底されていて、ゴミは細かく分別して出さなくてはいけません。

日本でもゴミの分別収集はされていますが、スイスの分別の仕方はものすごく細かくて、ゴミ捨てひとつでも一苦労です。

でも各家庭ではそれを当たり前の事としてこなしていますし、綺麗なスイスはこの心掛けに支えられているのです。

スイスでは、ゴミが細かく分かれていますので、
どこに捨てたらいいか分からないかもしれません。

スイスでは、缶入り飲料は少なく、びん入りが多いです。
びんは、緑、茶色、透明など、色別に分けて、リサイクルしなくてはいけません。
ペットボトルの回収も積極的に行われています。


「ツェルマットの場合」

マッターホルンの山麓、ヴァリス地方にあるツェルマットという街へは、普通の自動車で上がる事は出来ません。
ここで走る事が出来る車は消防車など、特別な車を除いて、全て排気ガスの出ない電気自動車か馬車です。
住民や観光客はみな、登山鉄道を活用しています。

スイスの環境問題①

「自然を守る法律」

スイスは早い時期から環境保全問題に取り組んで来ました。
自分の国の自然を守るために、多くの保護法が出来ています。

例えば、森林を伐採する時は許可を取った上、伐採した後には新しい苗木を植えなくてはならないなど、スイスの自然は厳しく保護・管理されています。

環境問題の中でも特に難しいのが、大気汚染の問題です。
スイスでは、なるべく自動車を使わず自転車や鉄道を利用して、排気ガスから出る二酸化炭素や有害な物質を減らそうと努力しています。
スイスの二酸化炭素の排出量は、ヨーロッパで一番少ないのです。

しかし大気に国境がある訳ではないので、周りのヨーロッパの国々から二酸化炭素や汚染物質は入って来ます。
難しいのは、大気汚染は地球全体の問題であり、一国だけ頑張っても大気の汚染問題は解決しない、という点でしょう。


スイスの自然

スイスを包み込むアルプス。

その雄大な自然の中で、厳しい自然環境の中で、人々は暮らしています。

自然と共に、山と共に暮らしているのです。

スイスは小さな国ですが、氷河で覆われた4000m以上の山もあります。
スイスは山の国なのです。

スイスの花と言えば「エーデルワイス」ですが、スイスの国花で、涼しい高原気候の所にしか咲きません(日本でも高い山には咲いています)

ハイキングに行くと、しばしば羊や山羊などに出会います。


※浮き出し迷路

長時間の飛行で退屈しないように、スイス航空の機内に置かれているパズルがあります。
迷路をたどって行くと有名な景色が現れます。


スイスの鉄道③

スイスの鉄道の特徴ですが、

「ホームが高くなっていない」

スイスだけではなく、ヨーロッパの列車は、乗り口にステップが付いていて、そこを登って乗り込む列車が多いです。

日本の列車にはステップがなく、代わりにホームが高くなっている事がほとんどですが、スイスでは大きな駅を除いて、ホームは大体が線路と同じ高さです。

「バス」

山岳地方や小さな谷あいの村々など、鉄道が走っていない所へ行くにはバスが便利です。
中でも郵便業務も行うポストバスは、もともとは郵便馬車だったため、郵便物が届く所ならどんな所へもバスを走らせています。

今は旅客のみを運ぶ線も増えています。
チューリッヒの駅に行くと、車両には「スイスの州の旗」が描かれています。
ポストバスは、スイスのポストと同じ黄色に塗られています。


※フランスにあるスイスの空港について

スイスの鉄道についてではないのですが、

バーゼル駅からポストバスで約15分ほど行くと、飛行機の便数と扱う旅客の量においてはスイスで3番目の国際空港、バーゼル空港に着きます。

しかしバーゼル空港は実はスイスではなく、フランスの領土内にあります。
山が多いスイスで空港を広げる事は難しく、フランスとの話し合いで、両国共同の空港をフランスに作る事になったのです。

フランス名は「ミュールーズ空港」と言います。

スイスの鉄道②

スイスで一番古い鉄道は1847年、チューリッヒ⇔バーデン間に作られたものです。

その後、鉄道はスイス全国にはりめぐらされ、1871年には、1798mのリギ山のすぐ下まで登るヨーロッパ初のラック鉄道が開通しています。

スイスの鉄道には国鉄と私鉄があります。
私鉄は全鉄道の40%以上を占めていて、地方の鉄道や登山鉄道は、ほとんどが私鉄の運営です。

国鉄は正式には「スイス連邦鉄道」と言い、ドイツ語でSBB フランス語でCFF イタリア語でFFSと表記されます。

国鉄と私鉄は連帯感が強く、お互いの乗り継ぎもうまく行くようになっている事が多いです。
またスイス国内の特急、急行列車に乗る時、ほとんどの場合、特に別料金は掛かりません。

スイスの鉄道①

スイスの交通といえば、何といっても鉄道です!

スイスの鉄道は、窓から見える景色が最高です。

スイスはヨーロッパの中でも進んだ鉄道王国です。
スイス国内を走っている鉄道の長さは、九州の鉄道に比べて約2倍の、5000km以上にもなるのです。
特に国土の多くを占める険しい山を登る登山鉄道が13路線もあって、どの路線でも、窓からはスイスの素晴らしい自然が眺められるのです。

(スイスで4番目に高い山、マッターホルンを眺められる登山電車は、ゴルナーグラ-ト登山鉄道です)


「最高地点3454m」

スイスで一番高い所を走っている鉄道は「ユングフラウ鉄道」で、最高地点のユングフラウ駅は何と海抜3454mです。

駅に降りても、いきなり走ったりしてはいけません。
富士山くらいの標高があり、空気が薄いからです。
日本のJRで一番高い所を走る小海線の最高地点が、野辺山駅(長野県)近くの1375mです。
これと比べると、スイスの鉄道の高さが良く分かります。


「ラック鉄道」

ラック鉄道とは、2本のレールの間にもう1本歯車を引っ掛ける役目のレールを引き、列車の歯車を「そこ」に噛み合わせて、急な坂を登って行く列車の事です。

世界で一番急な斜面を登るピラトゥス鉄道は480パーミルです。
つまり、1000m走ると、標高が480m上がるほど急で、列車の座席なども階段状になっています。
(エーグル⇔レザン間の登山鉄道などはそうです)


ランドヴァッサー橋を走る氷河特急など、

「あんなに高い所を電車が走っていて、落っこちたりしないのかなぁ」と思ったものです。

スイスの祭り

スイスには全国各地に、様々な伝統的なお祭りが残っています。
その一部を書いてみました。

「ゼクセロイテン」

復活祭の後の月曜日にチューリッヒで行われるゼクセロイテンは、スイスの春祭りの中で最も有名です。

高く積み上げられたまきのてっぺんにベーグ(冬じじい)と呼ばれる人形を立てて、まきに火を付けます。


冬の悪魔を追い払い、目前にせまった春を迎えるお祭りで、人形の首が燃えて落ちるまでの時間によって、その年の夏を占います。

春になって日が長くなり、18時まで仕事が出来るようになる事から、この名前が付いたそうです。
ドイツ語でゼクスは6、ロイテンは「鳴り響く」という意味です。

チューリッヒでのゼクセロイテンは、とても盛大に行うようです。

スイスの冬は長くて厳しいので、春の訪れの喜びは、大きいんですね。


「スイス建国記念日」

1291年8月1日がスイスの建国記念日です。
この日には、家々は花やスイスの国旗で飾られ、各地でパレードやイベントが開かれます。

また、スイス建国の英雄として伝えられているウィリアム・テルの劇なども行われます。


「牛追いの祭り」

夏の間、草が豊富な山で放牧していた牛を里へ下ろして来るお祭りです。
花やベルなどで飾り付けられた牛が行列して歩く様子は、微笑ましいです。
綺麗に飾られた牛がパレードで歩いているのです。
(牛のパレードなんて、面白いですね)





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スイスのスポーツ

(スイス相撲)

いつからかはハッキリしないのですが、昔から伝わっていて、スイスの各地で行われています。
ちゃんとした競技になっていて、3年に一度の大会では、みんな真剣です。

ルールは簡単で、相手を押し倒して、地面に背中を付けさせたら勝ちです。
短い麻のズボンを履いて、お互い試合が終わるまで、それを離してはいけないのです。

日本の相撲とそっくりです。


(伝統的なスポーツ)

アルプスの山々を頂くスイスでは、人々は古くからスキーに親しんで来ました。
今では、スイス全体で200か所以上のスキー場があるといいます。

そのほかには、旗を飛ばして、落ちて来るところを小さな枝で受け止める旗投げや、台の上に置いた円盤をバットで打ち、別の人がそれをキャッチするものなど、ユニークなスポーツも多いです。

面白いのは、これらのスポーツが必ず音楽と一緒になっている事です。
賑やかに行われるスポーツは、スポーツというよりお祭りに近いです。


(サッカー)

ほかのヨーロッパ諸国と同じように、スイスでもサッカーは盛んで、人気があります。

スイスのサッカーの歴史は古く、国内一部リーグ所属のチームのほとんどが、20世紀初めまでに創立されています。

ヨーロッパ全体からすると、リーグのレベルは高くありませんが、スイス代表チームが、1994年にはアメリカ・ワールドカップに、1996年にはヨーロッパ選手権に出場した事もあります。

ドイツやイタリアのリーグで活躍する選手も輩出しています。


(K-1)

K-1のKは、空手、カンフー、キックボクシングなど、立って行う競技や、格闘技そのものの頭文字Kから取ったものです。

K-1は、立ち技格闘技のナンバー1の選手を決める、日本で生まれた国際大会の事です。

アンディ・フグはスイスが誇る格闘家で、多くの人が、負けても決して諦めず戦い続けるその姿に惹きつけられました。

1993年から日本の正道会館に所属し、修行をしていましたが、2000年8月24日、病気のため、若くしてこの世を去りました。

スイスの遊び

スイスではどんな事をして遊ぶのでしょうか?

スイスの遊びで知っているものを、2つ書いてみました。

監獄送り

遊び方はドッジボールとほとんど同じです。
監獄というのは刑務所の事です。

1.まず2チームに分かれます(人数は何人でも良い)

2.地面に1本の線を引き、線の両側に2チームがそれぞれ入ります。

3.ドッジボールと同じように、2チームが交代でボールをぶつけあいます。
線から出てはいけません。
当たってしまった人はゲームから抜けます。
(この事を「監獄に送られる」と言います)

4.全員がボールに当たって監獄に送られてしまったチームの負けです。


なわとび遊び

何人でも遊べます。

1.1人がなわを持って、真ん中に立って鬼になり、残りの人はその人をぐるっと丸く囲んで立ちます。

2.鬼が回す「なわとび」に当たらないように、タイミング良くジャンプします。

3.なわに当たってしまった人は、鬼になります。


後はジャンケンをして勝った方が、「カモシカ」「アルプスマーモット」などと言って、言葉の数だけ歩いたり、階段を上ったり下りたりする遊びがあったような気がします。

言葉は違いますが、日本の遊びと似ていますね。

スイス 学校訪問⑤

チューリッヒ日本人学校の特徴の1つは、小学1年生から英語とドイツ語を学習する事です。
ドイツ語を学ぶのはチューリッヒ州の決まりでもありますが、ドイツ語圏に住む子供達との国際理解にとても役立ちます。

2つ目は、地元の行事に積極的に参加する事です。
チューリッヒに住む色々な国の子供達が民族衣装を着てパレードする春祭りに、日本人学校も参加しました(馬車に乗って太鼓を演奏する、ハッピ姿の日本人学校の子供達もいました)

またチューリッヒのに日本人学校では、国際理解・現地理解教育の一環として校外学習を行っています。
1997年度の中学部は、スイスの特色の1つである「核シェルター」などの見学に行きました。

良く映画などで見ますが、スイスには実際にあるのです。
スイスは永世中立国ですが、核シェルターがあります。

ずっしりと重い扉で、普段は倉庫として使っていますが、空気循環装置などが整っています。

※スイスでは、1959年核シェルターの設置が法律で決められました。
2度の世界大戦の経験から、国民を保護する必要がある時に、自衛の目的で使用するためです。

スイスでは、戦争や災害の時、自分達の手で自分達を守るという考えが基本にあるために、こうした施設が設けられました。
核シェルターは、各地区ごとに地区住民を収容出来るだけあり、定員になった状態で1か月生活出来るようになっているそうです。