日本とスイスの国交樹立150周年を記念して、様々な行事が行われており、そのうちに1つである「スイスと日本の連詩の朗読会」に行きました。
4月2日の19時より、六本木の国際文化会館の講堂で行われました。
日本の詩人とスイスの詩人が、36篇の詩を読み上げるというものです。
1時間半ほど、連詩の朗読が行われ、その後は質疑応答なども行われました。
長い間に渡ってスイスで日本学を教えてきたチューリッヒ大学の名誉教授であるエドゥアルド・クロッペンシュタイン先生を中心に、スイスと日本の詩人が、1つの詩から連想される詩を交互に作っていくというものです。
クロッペンシュタイン先生が日本語からドイツ語に翻訳し、ドイツ語から日本語へは松下たえ子さんが翻訳されました。
スイスの詩人はクラウス・メルツさん、ラファエル・ウアヴァイダーさんで、
日本の詩人は谷川俊太郎さんと覚和歌子さんでした。
クロッペンシュタイン先生は、日本文学を中心に現代詩を学び、連詩の本に出会い研究を始めたとの事です。
「ミニマン」という詩集が秋に出るという事なので、読んでみたいと思います。
谷川俊太郎さんの事は、良く知っていたのですが、覚和歌子さんの事はあまり良く存じ上げなかったのですが、自己紹介の中で、作詞家で自由詩も書かれるとの事で、
映画「千と千尋の神隠し」の作詞家と聞きましたので、「いつでも何度でも」という主題歌は、当時良く耳にしました。
朗読会の後の質疑応答で知ったのですが、スイスはドイツ語、フランス語、イタリア語、ロマンシュ語の4つの言語が公用語で話されているという事は知っていたのですが、昔からなのか、今現在はなのかは分からないのですが、ヨーロッパの中でも外国人が多い国なので、4つ以上、10~16以上の言語があるとの事でした。
また大勢の人が、スイスがスイス的ではなくなって来たという事を嘆いており、その事が社会問題にもなっているとの事です。
テレビでも見たのですが、温暖化の影響で、氷河が年々、だんだん解けてしまっているという事、日本人観光客も含めて、外国人観光客も増えて来ているという事、外国人居住者も増えて来ているという事、
ジュネーヴでも40%は外国人だと聞いています。
40年以上も前のグリンデルワルトの写真を見た事もあるのですが、確かに昔のスイスとは雰囲気も違ってしまっているようです。
それが外国人が増えた、日本人観光客が増えたという事も、理由の1つにあるのだとすれば、スイスに旅行し、滞在する私も外国人、日本人であり、その原因の1つになってしまっているのだろうと思います。
スイス・時計の展覧会 時を知る 時計の歴史 日時計の誕生から最新の複雑機構への歩み
2月11日には東京・六本木で、時計の展覧会がありました。
スイスの時計の展覧会でした。
スイスは時計の国ですが、スイスの主要産業でもある時計は、日本人の愛好家も多く、
「時を知る 時計の歴史 日時計の誕生から最新の複雑機構への歩み」という展覧会が、2月7~12日まで行われました。
スイス時計の普及を目的とする「高級時計財団(本部スイス)」が主催しており、歴史的にも価値の高い貴重な時計が、約100点ほど展示されていました。
「高級時計財団」は、2005年に、スイスのジュネーヴで設立されたとの事です。
時計と歴史の専門家の方も来日しており、時計の歴史やスイスの時計について、また日本の時計とスイスの時計との関係や、時計文化の比較、違いなど、実際に展示されている時計を見ながら、詳しく説明していました。
スイスは山の国ですが、アルプス山脈が6、7割で、あとはジュラ山脈と言われています。
当然、ジュラ山脈の当たりをジュラ地方と言うようですが、ジュラ地方と言うとフランスに近い方の地域です。
展覧会では主に、フランス語圏のヌーシャテル州にある「ラ・ショードフォン」の時計が展示されていたのですが、ラ・ショードフォンは時計産業の町で、世界遺産になった町なのです。
この町にある「国際時計博物館」には、実に4000ほどの時計が展示されているとの事です。
16世紀の宗教改革期に、フランスの新教徒(プロテスタント)がスイスに逃れて来て、ジュラ地方に入って来たそうなのです。
そしてその時に、フランスの職人が時計の技術を伝えたのだそうです。
やがて時計産業はオルゴール産業と結び付いて、スイスの伝統的な工芸品として発達したとの事です。
ジュラ地方と宗教改革、工芸品が、歴史的に繋がっているとは、初めて知りました。
(スイスは宗教改革によるプロテスタント発祥の地で、迫害を逃れてアメリカに渡ったアーミッシュの発祥にもなった国だと聞いています)
スイスの時計の展覧会でした。
スイスは時計の国ですが、スイスの主要産業でもある時計は、日本人の愛好家も多く、
「時を知る 時計の歴史 日時計の誕生から最新の複雑機構への歩み」という展覧会が、2月7~12日まで行われました。
スイス時計の普及を目的とする「高級時計財団(本部スイス)」が主催しており、歴史的にも価値の高い貴重な時計が、約100点ほど展示されていました。
「高級時計財団」は、2005年に、スイスのジュネーヴで設立されたとの事です。
時計と歴史の専門家の方も来日しており、時計の歴史やスイスの時計について、また日本の時計とスイスの時計との関係や、時計文化の比較、違いなど、実際に展示されている時計を見ながら、詳しく説明していました。
スイスは山の国ですが、アルプス山脈が6、7割で、あとはジュラ山脈と言われています。
当然、ジュラ山脈の当たりをジュラ地方と言うようですが、ジュラ地方と言うとフランスに近い方の地域です。
展覧会では主に、フランス語圏のヌーシャテル州にある「ラ・ショードフォン」の時計が展示されていたのですが、ラ・ショードフォンは時計産業の町で、世界遺産になった町なのです。
この町にある「国際時計博物館」には、実に4000ほどの時計が展示されているとの事です。
16世紀の宗教改革期に、フランスの新教徒(プロテスタント)がスイスに逃れて来て、ジュラ地方に入って来たそうなのです。
そしてその時に、フランスの職人が時計の技術を伝えたのだそうです。
やがて時計産業はオルゴール産業と結び付いて、スイスの伝統的な工芸品として発達したとの事です。
ジュラ地方と宗教改革、工芸品が、歴史的に繋がっているとは、初めて知りました。
(スイスは宗教改革によるプロテスタント発祥の地で、迫害を逃れてアメリカに渡ったアーミッシュの発祥にもなった国だと聞いています)
日本・スイス 国交樹立150周年記念 スイスデイズ③
ワイン、チーズ、チョコレート、コーヒー、スイス料理などの食文化のほかに、時計、アーミーナイフなど、様々なブースを見て歩きました。
写真を撮れるブースや、小さなロッククライミングのコーナーがありました。
このロッククライミングのコーナーは、「モンベル」というスポーツ店が出していて、スイス現地のグリンデルワルトにもお店があります。
現地のお店に行った際に聞いたのですが、創業者の方がアイガーに登攀して、「スイスにはお世話になったから」と言って出店したそうです。
グリンデルワルトに行った際に、現地の日本人に勧められて、水筒と散策用に靴を買いました。
次回またスイスに行く時に、グリンデルワルトに寄った際には、モンベルに行きたいと思います。
スイスと言えば登山やハイキング、ウィンタースポーツが有名ですが、サッカーも強いのです。
写真を撮れるコーナーには、スイス旅行の案内のパンフレットも置いてありましたが、スイス政府観光局のブースだったと思います。スイスのハーブキャンディーを頂きました。
最後はスイスから来日したスイスの歌手が歌を歌い、楽器を演奏していました。
長いアルペンホルンの演奏もありました。
会場にたくさんの人が集まり、歌と演奏を聴いていました。
イベントの終わりに司会者の方が、イベント終了の挨拶をすると、会場の後ろにあるパノラマに、スイスのクライネ・シャイデックやユングフラウ、スフィンクス展望台などの映像が映し出されました。
大雪のため、スイスデイズには、1日しか参加出来ませんでしたが、とても良かったと思います。
このスイスデイズを始め、今年は「日本とスイスの国交樹立150周年」を記念して、様々なイベントが催されると思います。
今年1年を通して行われる行事には、なるべく参加して行きたいと思います。
日本とスイスが今後も、良い関係を続けて行ければと思います。
写真を撮れるブースや、小さなロッククライミングのコーナーがありました。
このロッククライミングのコーナーは、「モンベル」というスポーツ店が出していて、スイス現地のグリンデルワルトにもお店があります。
現地のお店に行った際に聞いたのですが、創業者の方がアイガーに登攀して、「スイスにはお世話になったから」と言って出店したそうです。
グリンデルワルトに行った際に、現地の日本人に勧められて、水筒と散策用に靴を買いました。
次回またスイスに行く時に、グリンデルワルトに寄った際には、モンベルに行きたいと思います。
スイスと言えば登山やハイキング、ウィンタースポーツが有名ですが、サッカーも強いのです。
写真を撮れるコーナーには、スイス旅行の案内のパンフレットも置いてありましたが、スイス政府観光局のブースだったと思います。スイスのハーブキャンディーを頂きました。
最後はスイスから来日したスイスの歌手が歌を歌い、楽器を演奏していました。
長いアルペンホルンの演奏もありました。
会場にたくさんの人が集まり、歌と演奏を聴いていました。
イベントの終わりに司会者の方が、イベント終了の挨拶をすると、会場の後ろにあるパノラマに、スイスのクライネ・シャイデックやユングフラウ、スフィンクス展望台などの映像が映し出されました。
大雪のため、スイスデイズには、1日しか参加出来ませんでしたが、とても良かったと思います。
このスイスデイズを始め、今年は「日本とスイスの国交樹立150周年」を記念して、様々なイベントが催されると思います。
今年1年を通して行われる行事には、なるべく参加して行きたいと思います。
日本とスイスが今後も、良い関係を続けて行ければと思います。
日本・スイス 国交樹立150周年記念 スイスデイズ②
スイス大使館が主催で、スイスの企業や団体が、たくさんのブースを出展しており、食文化のコーナーでは、スイスのチーズ、チョコレート、コーヒー、スイスワイン、ソーセージなどのスイス料理があり、
特にスイス料理とチーズのコーナーにはたくさんの人が並んでおり、熱してトロトロにしたチーズを、茹で立てのジャガイモに絡めて食べる「ラクレット」のコーナーは、すごい行列でした。
ワインのコーナーも人がたくさんいました。
生産量が少ない貴重なスイスのワインは、白ワインが多く、国内だけでは消費量が間に合わず、輸入しているとの事でした。
レマン湖周辺のブドウで作ったワインという事で、試飲出来ましたので、赤ワインを試飲してみました。やっぱりスイスに行って飲んだ時と同じ独特のある濃いような味でした。
スイスのワインは独特の味で、あっさりしていないので、前から「どうしてスイスのワインはどれを飲んでも同じような癖のある味なんだろう?」と思っていましたので、味について質問してみると、スイスのワインはどれも、ブドウが取れる土地の地質上の問題で、ミネラルが多く、舌の奥にいつまでも残るような、濃い感じの癖のあるワインという事でした。
スイスの時計、アーミーナイフなどのコーナーもありました。
スイスと言えば有名なオルゴールや刺繍、木工製品などはありませんでした。
またラクレットはありましたが、チーズフォンデュその他もありませんでした。
ほかに民族楽器アルペンホルンを使った演奏会や、伝統的なシュビンゲン(スイス相撲)の試合も行われていました。
特にスイス料理とチーズのコーナーにはたくさんの人が並んでおり、熱してトロトロにしたチーズを、茹で立てのジャガイモに絡めて食べる「ラクレット」のコーナーは、すごい行列でした。
ワインのコーナーも人がたくさんいました。
生産量が少ない貴重なスイスのワインは、白ワインが多く、国内だけでは消費量が間に合わず、輸入しているとの事でした。
レマン湖周辺のブドウで作ったワインという事で、試飲出来ましたので、赤ワインを試飲してみました。やっぱりスイスに行って飲んだ時と同じ独特のある濃いような味でした。
スイスのワインは独特の味で、あっさりしていないので、前から「どうしてスイスのワインはどれを飲んでも同じような癖のある味なんだろう?」と思っていましたので、味について質問してみると、スイスのワインはどれも、ブドウが取れる土地の地質上の問題で、ミネラルが多く、舌の奥にいつまでも残るような、濃い感じの癖のあるワインという事でした。
スイスの時計、アーミーナイフなどのコーナーもありました。
スイスと言えば有名なオルゴールや刺繍、木工製品などはありませんでした。
またラクレットはありましたが、チーズフォンデュその他もありませんでした。
ほかに民族楽器アルペンホルンを使った演奏会や、伝統的なシュビンゲン(スイス相撲)の試合も行われていました。
日本・スイス 国交樹立150周年記念 スイスデイズ①
2月6~9日まで、六本木で「スイスと日本の国交樹立150周年」を記念して、スイスデイズが行われました。
日本とスイスが「修好通商条約」を結んだのは、1864年2月6日の事で、今年は記念すべき「国交樹立150周年」です。
スイスデイズの初日が6日なのも、そのためだと思いました。
私は最終日にスイスデイズのイベントに行きました。
本当は8日に行こうと思っていたのですが、大雪のため交通機関がストップし、行けなくなってしまったのです。
次の日も雪が積もっているでしょうから、「1日くらい参加したかったけど行けないかな?」と思っていましたが、次の日は晴天で何とかイベントに行けそうでした。
しかも雪に太陽の光が反射して、かえって眩しいくらいのいい天気でした。
私は午後、「数時間でもイベントに参加出来ればいいな」と思い、六本木へ行きました。
会場へ着いたのは午後15時でした。
会場に入るとスイスの有名企業や団体が、たくさんのブースを出展していました。
日本とスイスが「修好通商条約」を結んだのは、1864年2月6日の事で、今年は記念すべき「国交樹立150周年」です。
スイスデイズの初日が6日なのも、そのためだと思いました。
私は最終日にスイスデイズのイベントに行きました。
本当は8日に行こうと思っていたのですが、大雪のため交通機関がストップし、行けなくなってしまったのです。
次の日も雪が積もっているでしょうから、「1日くらい参加したかったけど行けないかな?」と思っていましたが、次の日は晴天で何とかイベントに行けそうでした。
しかも雪に太陽の光が反射して、かえって眩しいくらいのいい天気でした。
私は午後、「数時間でもイベントに参加出来ればいいな」と思い、六本木へ行きました。
会場へ着いたのは午後15時でした。
会場に入るとスイスの有名企業や団体が、たくさんのブースを出展していました。
スイスと日本との姉妹都市 交流一覧
日本の都市でスイスの都市と姉妹関係を結び、親しく文化の交流を深めている所があります。
スイスの提携都市 日本の自治体 提携年月日
サン・モリッツ 倶知安町(北海道) 1964年3月19日
グリンデルワルト 安曇村(長野県) 1972年4月20日
インターラーケン 大津市(滋賀県) 1978年10月1日
マイリンゲン 弥栄朝(京都府) 1991年3月16日
モントルー 千葉市(千葉県) 1996年5月28日
ツェルマット 妙高高原町(新潟県) 1997年5月24日
※これ以外にも、スイスと日本の提携都市はたくさんあります。
私もこれまでに何度もスイスへ行きましたが、アルプスの山並み、国旗の下を走る路面電車、ジュネーヴの裏通り、夜景、チューリッヒのフラウミュンスター寺院・・
自然も街も、電車も夜景も、裏通りも、何から何まで綺麗で整っていて美しい国でした。
スイスの提携都市 日本の自治体 提携年月日
サン・モリッツ 倶知安町(北海道) 1964年3月19日
グリンデルワルト 安曇村(長野県) 1972年4月20日
インターラーケン 大津市(滋賀県) 1978年10月1日
マイリンゲン 弥栄朝(京都府) 1991年3月16日
モントルー 千葉市(千葉県) 1996年5月28日
ツェルマット 妙高高原町(新潟県) 1997年5月24日
※これ以外にも、スイスと日本の提携都市はたくさんあります。
私もこれまでに何度もスイスへ行きましたが、アルプスの山並み、国旗の下を走る路面電車、ジュネーヴの裏通り、夜景、チューリッヒのフラウミュンスター寺院・・
自然も街も、電車も夜景も、裏通りも、何から何まで綺麗で整っていて美しい国でした。
スイス 環境問題③
スイスの環境問題に対する取り組みは、とても積極的です。
びんは、きちんと洗って色別に分けてびん置き場に持って行かなければなりませんが、そのために各家庭では、青、茶、白、ワインボトルなど、各々の置き場を準備しています。
また、その他の不燃物は、アルミ缶、スチール缶、金属、機械類、プラスチック、発砲スチール、ペットボトル、電池、古着、リサイクル可能な紙類という風に、大小様々な箱に分けて入れておき、週に一度回収ボックスへ運びます。
燃えるゴミ、肥料に再生可能な緑のゴミなどは、有料の場合が多いです。
回収所には監視人がいて、ちゃんと分別されているかどうか、きびしくチェックされる事もあります。
これを日常的に行うのは、大変な事のように思われますが、スイスでは、各個人が自ら進んでゴミ処理を行っています。
それは、小さい時から家庭や学校で徹底的に始動されているからです。
また、ゴミ処理の仕方を守らないと相当高い罰金(何十万円という高額)を払わされる事も、理由の1つかもしれません。
ですから、徹底したゴミの分別です。
※スイスでは、ほとんどのペットボトルにデポジットマークが付いています。
子供達は、デポジット制の返金システムで戻って来るお金をお小遣いにする事もあります。
そのため容器を圧縮機付きの回収ボックスへ持って行く子供達の姿を良く見掛けます。
日本では、ペットボトルや空き缶のデポジット制導入に関しては議論を呼んでいますが、一部の観光地では実際に導入されています。
(デポジット制というのは、飲料などを販売する時に、あらかじめ一定の金額を上乗せして、空の容器を返せばその金額を返却する制度の事です。
実際に静岡県熱海市には空き缶回収機が設置されています)
びんは、きちんと洗って色別に分けてびん置き場に持って行かなければなりませんが、そのために各家庭では、青、茶、白、ワインボトルなど、各々の置き場を準備しています。
また、その他の不燃物は、アルミ缶、スチール缶、金属、機械類、プラスチック、発砲スチール、ペットボトル、電池、古着、リサイクル可能な紙類という風に、大小様々な箱に分けて入れておき、週に一度回収ボックスへ運びます。
燃えるゴミ、肥料に再生可能な緑のゴミなどは、有料の場合が多いです。
回収所には監視人がいて、ちゃんと分別されているかどうか、きびしくチェックされる事もあります。
これを日常的に行うのは、大変な事のように思われますが、スイスでは、各個人が自ら進んでゴミ処理を行っています。
それは、小さい時から家庭や学校で徹底的に始動されているからです。
また、ゴミ処理の仕方を守らないと相当高い罰金(何十万円という高額)を払わされる事も、理由の1つかもしれません。
ですから、徹底したゴミの分別です。
※スイスでは、ほとんどのペットボトルにデポジットマークが付いています。
子供達は、デポジット制の返金システムで戻って来るお金をお小遣いにする事もあります。
そのため容器を圧縮機付きの回収ボックスへ持って行く子供達の姿を良く見掛けます。
日本では、ペットボトルや空き缶のデポジット制導入に関しては議論を呼んでいますが、一部の観光地では実際に導入されています。
(デポジット制というのは、飲料などを販売する時に、あらかじめ一定の金額を上乗せして、空の容器を返せばその金額を返却する制度の事です。
実際に静岡県熱海市には空き缶回収機が設置されています)
スイスの税金
「州によって異なるスイスの税金」
税率の率が州によって違って来るのがスイスの特徴の1つです。
どれほど税率が違うかというと、例えばツーク州で納税額が年間で収入の7%の人は、ベルンに行くと21%になってしまいます。つまり3杯も違う事になります。
どうしてこのような事になるのでしょうか?
それはスイスは、24の州に自治権があり、独自の憲法と法律を持つ、いわば小国家の集まりだからです。
※スイスの通貨の単位は、スイスフランです。
1スイスフランは、約120円です。
スイスは政治的にも、金融的にも安定している上に、伝統的に預金者の機密を守る姿勢を取って来たため、国際的な金融の中心地となって来ました。
チューリッヒがスイスの銀行の本拠地となっています。
しかし最近、国際的な圧力を受けて、スイスは伝統的な銀行の秘密主義を緩めています。
預金の不法取得や運用に疑いのある場合、外国の調査員が銀行の書類を閲覧する事が出来るようになりました。
税率の率が州によって違って来るのがスイスの特徴の1つです。
どれほど税率が違うかというと、例えばツーク州で納税額が年間で収入の7%の人は、ベルンに行くと21%になってしまいます。つまり3杯も違う事になります。
どうしてこのような事になるのでしょうか?
それはスイスは、24の州に自治権があり、独自の憲法と法律を持つ、いわば小国家の集まりだからです。
※スイスの通貨の単位は、スイスフランです。
1スイスフランは、約120円です。
スイスは政治的にも、金融的にも安定している上に、伝統的に預金者の機密を守る姿勢を取って来たため、国際的な金融の中心地となって来ました。
チューリッヒがスイスの銀行の本拠地となっています。
しかし最近、国際的な圧力を受けて、スイスは伝統的な銀行の秘密主義を緩めています。
預金の不法取得や運用に疑いのある場合、外国の調査員が銀行の書類を閲覧する事が出来るようになりました。
スイス 中立とEU(欧州連合)
「EU(欧州連合)に加盟していないスイス」
1815年永世中立国に承認され、その後、ヨーロッパ国家間の勢力のバランスを保つ上で重要な役割を果たして来たスイスですが、今まさに大きな岐路に立たされています。
つまりEUに参加するか、しないかという問題に直面しているのです。
EUに参加せずに自立の道を推し進めれば、経済的に、貿易・通貨の問題を含め、現在のヨーロッパから孤立する事になると言われています。
EUへの参加についての是非を問う国民投票はまだ実施されていないようですが、1992年12月に行われたEEA(Europe Economic Area=ヨーロッパ経済区域)への参加投票で、国民の意見が真っ二つに割れるという事がありました。
結果的には小差で不参加という結論に達した国民投票ではありましたが、この投票はEU参加に対するこ国民の声であったとも言われています。
はたして、今後もスイスはEUへ参加せず、独自の道を歩き続けられるのでしょうか?
1815年永世中立国に承認され、その後、ヨーロッパ国家間の勢力のバランスを保つ上で重要な役割を果たして来たスイスですが、今まさに大きな岐路に立たされています。
つまりEUに参加するか、しないかという問題に直面しているのです。
EUに参加せずに自立の道を推し進めれば、経済的に、貿易・通貨の問題を含め、現在のヨーロッパから孤立する事になると言われています。
EUへの参加についての是非を問う国民投票はまだ実施されていないようですが、1992年12月に行われたEEA(Europe Economic Area=ヨーロッパ経済区域)への参加投票で、国民の意見が真っ二つに割れるという事がありました。
結果的には小差で不参加という結論に達した国民投票ではありましたが、この投票はEU参加に対するこ国民の声であったとも言われています。
はたして、今後もスイスはEUへ参加せず、独自の道を歩き続けられるのでしょうか?
スイス略年表
(西暦) (スイス)
紀元前400年頃 ケルト人の定住
紀元前1世紀 ローマ帝国の支配下に入る
5世紀 ゲルマン人の定住
1291年 スイスの始まり(3地域の永久同盟)
1618年
↓ 30年戦争(各地の諸候を巻き込む国際戦争)
1648年 ウェストファリア条約で神聖ローマ帝国から独立
1674年 武装中立宣言
1815年 ウィ-ン会議で永世中立が承認される
1945年 国際連合に非加盟を決定
1971年 婦人参政権を承認
1986年 国際連合加盟を国民投票で否決
1993年 EU(欧州連合)加盟の機運高まるが、現在未加盟
紀元前400年頃 ケルト人の定住
紀元前1世紀 ローマ帝国の支配下に入る
5世紀 ゲルマン人の定住
1291年 スイスの始まり(3地域の永久同盟)
1618年
↓ 30年戦争(各地の諸候を巻き込む国際戦争)
1648年 ウェストファリア条約で神聖ローマ帝国から独立
1674年 武装中立宣言
1815年 ウィ-ン会議で永世中立が承認される
1945年 国際連合に非加盟を決定
1971年 婦人参政権を承認
1986年 国際連合加盟を国民投票で否決
1993年 EU(欧州連合)加盟の機運高まるが、現在未加盟
スイスの歴史②
「永世中立国の誕生」
ナポレオン時代が終わりを告げた1815年、ウィ-ン会議が開かれました。
会議の席上で、スイスは「永世中立」を諸国に要請し、正式にその「永世中立」が国際的に認められました。
※永世中立とは、国際法上、他の国々の戦争に関与できないと同時に、自国の独立と領土の保全が、他の国々によって保障されている状態の事です。
ルツェルンには「ライオンの記念碑」があります。
スイスの自治を守り、国の貧しさを補うため、他国の兵士となって戦って死んだスイス人兵士を追悼するため、1821年に作られました。
第一次・第二次世界大戦では、ヨーロッパが戦場になったが、両大戦ともスイスは中立を守りました。ですが、人々は経済的困難と戦わなければなりませんでした。
今日ではスイスの政治は安定し、その安定を背景に経済も好調で、1人当たりの国民総生産は世界のトップレベルにあります。
「工業化への道」
20世紀に入るとスイスは工業国となりました。
伝統産業や機械・化学工業が発達し、機械輸出額では20世紀初頭の最先進国イギリスを抜くまでになりました。
また銀行や保険業も大いに伸び、スイスの銀行の地位は世界的に不動のものとなりました。
ナポレオン時代が終わりを告げた1815年、ウィ-ン会議が開かれました。
会議の席上で、スイスは「永世中立」を諸国に要請し、正式にその「永世中立」が国際的に認められました。
※永世中立とは、国際法上、他の国々の戦争に関与できないと同時に、自国の独立と領土の保全が、他の国々によって保障されている状態の事です。
ルツェルンには「ライオンの記念碑」があります。
スイスの自治を守り、国の貧しさを補うため、他国の兵士となって戦って死んだスイス人兵士を追悼するため、1821年に作られました。
第一次・第二次世界大戦では、ヨーロッパが戦場になったが、両大戦ともスイスは中立を守りました。ですが、人々は経済的困難と戦わなければなりませんでした。
今日ではスイスの政治は安定し、その安定を背景に経済も好調で、1人当たりの国民総生産は世界のトップレベルにあります。
「工業化への道」
20世紀に入るとスイスは工業国となりました。
伝統産業や機械・化学工業が発達し、機械輸出額では20世紀初頭の最先進国イギリスを抜くまでになりました。
また銀行や保険業も大いに伸び、スイスの銀行の地位は世界的に不動のものとなりました。
スイスの歴史①
「地域による言語の違い」
今のスイスの辺りには、古くからケルト系の部族が住んでいましたが、紀元前1世紀頃にローマ帝国の支配に置かれるようになります。
今日話されているロマンシュ語の起源はここに始まります。
5世紀に入るとゲルマン系の部族が定住するようになり、現在のドイツ語がフランス語を話している人々の先祖となりました。
「スイスの始まり」
11世紀頃から、スイス地域は神聖ローマ帝国の支配下にありました。
1291年、神聖ローマ帝国に対抗するため、3つの地域が永久同盟と呼ばれる軍事同盟を結びました。これが今日のスイスの始まりだとされています。
「宗教戦争と独立」
宗教改革の動きはカトリックとプロテスタントの対立を招きました。
そして、ヨーロッパ全土に30年(1618~48年)にも渡る宗教戦争の嵐が吹き荒れました。
スイスはこの戦争で武装中立を貫き、1648年に戦後処理を決めたウェストファリア条約で、神聖ローマ帝国からの分離独立が国際的に認められました。
1674年には外交の基本として、武装中立を宣言します。
今のスイスの辺りには、古くからケルト系の部族が住んでいましたが、紀元前1世紀頃にローマ帝国の支配に置かれるようになります。
今日話されているロマンシュ語の起源はここに始まります。
5世紀に入るとゲルマン系の部族が定住するようになり、現在のドイツ語がフランス語を話している人々の先祖となりました。
「スイスの始まり」
11世紀頃から、スイス地域は神聖ローマ帝国の支配下にありました。
1291年、神聖ローマ帝国に対抗するため、3つの地域が永久同盟と呼ばれる軍事同盟を結びました。これが今日のスイスの始まりだとされています。
「宗教戦争と独立」
宗教改革の動きはカトリックとプロテスタントの対立を招きました。
そして、ヨーロッパ全土に30年(1618~48年)にも渡る宗教戦争の嵐が吹き荒れました。
スイスはこの戦争で武装中立を貫き、1648年に戦後処理を決めたウェストファリア条約で、神聖ローマ帝国からの分離独立が国際的に認められました。
1674年には外交の基本として、武装中立を宣言します。
スイス 基礎知識
正式名称はスイス連邦と言います。
国旗は「赤字に白十字」です。
(国際政治)
1648年、ウェストファリア条約により、神聖ローマ帝国から独立し、中立の立場を宣言しました。
1815年、ウィ-ン会議で、永世中立国である事が、国際的に認められます。
(国土)
アルプス山脈とジュラ山脈の間を、ミッテルランドと呼ばれる中央平野が、平均標高580mの高さで広がります。
国土の総面積は4万1284.6平方キロで、日本の九州とほぼ同じ位の大きさです。
最高点はデュフォール主峰の4634mで、最低点はマジョーレ湖面の193mです。
(人口)
スイスの全人口は、約804万人です。
そのうちの約140万人が外国人で、全人口の約20%にも及びます。
ジュネーヴでは、外国人居住率が約35%を占めています。
また、人口の68%が中央平野の都市地域に集中しています。
(言語)
スイスには4つの言葉があります。
最も多いのがスイス方言のドイツ語で約75%、ついで話されるのがフランス語で20%、そしてイタリア語の4%、最後はロマンシュ語の1%です。
ロマンシュ語は、ラテン語を語源とする独立言語で、国民投票で第4の公用語として認められました。
(宗教)
ほとんどがキリスト教です。
キリスト教徒の割合は、ローマ・カトリック教徒が約48%で、プロテスタント教徒が約44%です。
国旗は「赤字に白十字」です。
(国際政治)
1648年、ウェストファリア条約により、神聖ローマ帝国から独立し、中立の立場を宣言しました。
1815年、ウィ-ン会議で、永世中立国である事が、国際的に認められます。
(国土)
アルプス山脈とジュラ山脈の間を、ミッテルランドと呼ばれる中央平野が、平均標高580mの高さで広がります。
国土の総面積は4万1284.6平方キロで、日本の九州とほぼ同じ位の大きさです。
最高点はデュフォール主峰の4634mで、最低点はマジョーレ湖面の193mです。
(人口)
スイスの全人口は、約804万人です。
そのうちの約140万人が外国人で、全人口の約20%にも及びます。
ジュネーヴでは、外国人居住率が約35%を占めています。
また、人口の68%が中央平野の都市地域に集中しています。
(言語)
スイスには4つの言葉があります。
最も多いのがスイス方言のドイツ語で約75%、ついで話されるのがフランス語で20%、そしてイタリア語の4%、最後はロマンシュ語の1%です。
ロマンシュ語は、ラテン語を語源とする独立言語で、国民投票で第4の公用語として認められました。
(宗教)
ほとんどがキリスト教です。
キリスト教徒の割合は、ローマ・カトリック教徒が約48%で、プロテスタント教徒が約44%です。
スイスの言葉
グーテンターク(ドイツ語)
ボンジュール(フランス語)
ブォンジョルノ(イタリア語)
ブン ディ(ロマンシュ語)
全部「こんにちは」という意味です。
スイスでは4つとも公用語として使われている言葉です。
言葉が4つもあるなんて、スイスで暮らすのは大変そうですが、みんなが4つの言葉全てを話すのではなくて、地域によって話す言葉が違っているのです。
スイスのドイツ語には、さらに「スイス・ドイツ語」という標準ドイツ語とは違う、スイス独特のドイツ語があります。
ボンジュール(フランス語)
ブォンジョルノ(イタリア語)
ブン ディ(ロマンシュ語)
全部「こんにちは」という意味です。
スイスでは4つとも公用語として使われている言葉です。
言葉が4つもあるなんて、スイスで暮らすのは大変そうですが、みんなが4つの言葉全てを話すのではなくて、地域によって話す言葉が違っているのです。
スイスのドイツ語には、さらに「スイス・ドイツ語」という標準ドイツ語とは違う、スイス独特のドイツ語があります。
スイス 姉妹都市交流
スイスのグリンデルワルト村と長野県の安曇村(あずみむら)とが姉妹都市提携をしています。
「1972年4月に提携」
これまで安曇村ではグリンデルワルト村にスキー教師を派遣したり、村民を派遣したりして来ました。またグリンデルワルト村からの訪問も受けて、お互いの村の理解を深めて来ています。
1985年から始めた中学生の派遣も、すでに5回行われました。
子供達の交流体験や残した訪問記録は、学校全体の国際理解を高める事に役だっています。
※スイス災害救助犬
交流と言えば、スイスの災害救助犬があります。
災害救助犬というのは、ガレキの下などから人間を探しだすように訓練された犬の事です。
スイスは、この分野では優れた実績を持っています。
阪神大震災の時には、スイスの災害救助犬チームがいち早く駆け付けて、活躍しました。
これ以降、遅れていた日本の災害救助犬に対する認識が、少しずつ高まって来ています。
「1972年4月に提携」
これまで安曇村ではグリンデルワルト村にスキー教師を派遣したり、村民を派遣したりして来ました。またグリンデルワルト村からの訪問も受けて、お互いの村の理解を深めて来ています。
1985年から始めた中学生の派遣も、すでに5回行われました。
子供達の交流体験や残した訪問記録は、学校全体の国際理解を高める事に役だっています。
※スイス災害救助犬
交流と言えば、スイスの災害救助犬があります。
災害救助犬というのは、ガレキの下などから人間を探しだすように訓練された犬の事です。
スイスは、この分野では優れた実績を持っています。
阪神大震災の時には、スイスの災害救助犬チームがいち早く駆け付けて、活躍しました。
これ以降、遅れていた日本の災害救助犬に対する認識が、少しずつ高まって来ています。
日本で見つけたスイス②
スイスと言えば・・
「スイスの時計」
スイスと言えば、時計が有名です。
ローレックスやオメガ、ラド-などの高級時計メーカーはスイスの会社ですし、大人にも子供にも人気のスウォッチもスイス製です。
かわいい子供用の時計もあり、子供用の腕時計も種類が豊富です。
※「青少年赤十字」とは、幼稚園、小・中学校などで、学校や学年、クラス単位で参加して、学校の先生が、赤十字社から提供を受ける資料を使って指導をして行う赤十字活動の事です。
青少年赤十字では、3つの実践目標を掲げています。
1.健康・安全・・生命と健康を大切にする
2.奉仕・・人間として社会のため、人のために尽くす責任を自覚し、実行する
3.国際理解・親善・・広く世界の青少年を知り、仲良く助け合う精神を養う
「青少年赤十字」の活動は、日本では1922年に始められました。
加盟している学校には、「赤十字に周りを白い星で囲むマーク」が付いたポスターなどが配られます。
世界176か国に広がり、日本でも9789校・約230万人の子供が、青少年赤十字のメンバーになっています。
子供達は、老人施設の訪問、お見舞いをしたり、ネパールの小学校に綺麗な水を供給するなどの活動を行っています。
「スイスの時計」
スイスと言えば、時計が有名です。
ローレックスやオメガ、ラド-などの高級時計メーカーはスイスの会社ですし、大人にも子供にも人気のスウォッチもスイス製です。
かわいい子供用の時計もあり、子供用の腕時計も種類が豊富です。
※「青少年赤十字」とは、幼稚園、小・中学校などで、学校や学年、クラス単位で参加して、学校の先生が、赤十字社から提供を受ける資料を使って指導をして行う赤十字活動の事です。
青少年赤十字では、3つの実践目標を掲げています。
1.健康・安全・・生命と健康を大切にする
2.奉仕・・人間として社会のため、人のために尽くす責任を自覚し、実行する
3.国際理解・親善・・広く世界の青少年を知り、仲良く助け合う精神を養う
「青少年赤十字」の活動は、日本では1922年に始められました。
加盟している学校には、「赤十字に周りを白い星で囲むマーク」が付いたポスターなどが配られます。
世界176か国に広がり、日本でも9789校・約230万人の子供が、青少年赤十字のメンバーになっています。
子供達は、老人施設の訪問、お見舞いをしたり、ネパールの小学校に綺麗な水を供給するなどの活動を行っています。
日本で見つけたスイス①
スイスと言えば・・
「アルプスの少女ハイジ」
スイスの女流作家、ヨハンナ・スピリ原作の「アルプスの少女ハイジ」は、1974年(1~12月まで)テレビで放映され、当時の女の子たちに大人気でした。
今でもマンガやビデオの人気は高いです。
(あらすじ)
幼い頃に両親を亡くして1人になってしまったハイジは、アルムの山に住むおじいさんへ預けられます。
素直で優しい心を持つハイジは、毎日自然の中を元気に駆け回り、閉ざされていたおじいさんの心を開きますが、ある日ハイジは大都会に住む1人ぼっちの足の不自由なお嬢様、クララと一緒に暮らす事になります。
毎日山に帰りたいと思いながらも、ハイジはクララとの友情を深めて行きます。
「ウィリアム・テル」
この話は詩人で劇作家のシラーによって19世紀初めに作品化され、世界中に広まりました。
(あらすじ)
ウィリアム・テルは、スイス建国にまつわる伝説の英雄です。
その昔、ウィリアム・テルが住む村を支配していた代官は、いつも威張ってみんなに嫌われていました。
ある日、代官は命令に従わないテルに腹を立て、テルの息子の頭にリンゴを乗せ、それを遠くから矢で射るように、テルに命令します。
見事成功するのですが、再度捕えられたテルは、護送される時、嵐に乗じて逃亡し、代官を矢で殺します。
これを機にスイスの人々が立ちあがり、圧制者に迫り、平和な国づくりに励むようになりました。
「アルプスの少女ハイジ」
スイスの女流作家、ヨハンナ・スピリ原作の「アルプスの少女ハイジ」は、1974年(1~12月まで)テレビで放映され、当時の女の子たちに大人気でした。
今でもマンガやビデオの人気は高いです。
(あらすじ)
幼い頃に両親を亡くして1人になってしまったハイジは、アルムの山に住むおじいさんへ預けられます。
素直で優しい心を持つハイジは、毎日自然の中を元気に駆け回り、閉ざされていたおじいさんの心を開きますが、ある日ハイジは大都会に住む1人ぼっちの足の不自由なお嬢様、クララと一緒に暮らす事になります。
毎日山に帰りたいと思いながらも、ハイジはクララとの友情を深めて行きます。
「ウィリアム・テル」
この話は詩人で劇作家のシラーによって19世紀初めに作品化され、世界中に広まりました。
(あらすじ)
ウィリアム・テルは、スイス建国にまつわる伝説の英雄です。
その昔、ウィリアム・テルが住む村を支配していた代官は、いつも威張ってみんなに嫌われていました。
ある日、代官は命令に従わないテルに腹を立て、テルの息子の頭にリンゴを乗せ、それを遠くから矢で射るように、テルに命令します。
見事成功するのですが、再度捕えられたテルは、護送される時、嵐に乗じて逃亡し、代官を矢で殺します。
これを機にスイスの人々が立ちあがり、圧制者に迫り、平和な国づくりに励むようになりました。
スイスの環境問題②
「スイスのゴミ箱」
スイスでは、それぞれの州ごとにリサイクルのシステムが徹底されていて、ゴミは細かく分別して出さなくてはいけません。
日本でもゴミの分別収集はされていますが、スイスの分別の仕方はものすごく細かくて、ゴミ捨てひとつでも一苦労です。
でも各家庭ではそれを当たり前の事としてこなしていますし、綺麗なスイスはこの心掛けに支えられているのです。
スイスでは、ゴミが細かく分かれていますので、
どこに捨てたらいいか分からないかもしれません。
スイスでは、缶入り飲料は少なく、びん入りが多いです。
びんは、緑、茶色、透明など、色別に分けて、リサイクルしなくてはいけません。
ペットボトルの回収も積極的に行われています。
「ツェルマットの場合」
マッターホルンの山麓、ヴァリス地方にあるツェルマットという街へは、普通の自動車で上がる事は出来ません。
ここで走る事が出来る車は消防車など、特別な車を除いて、全て排気ガスの出ない電気自動車か馬車です。
住民や観光客はみな、登山鉄道を活用しています。
スイスでは、それぞれの州ごとにリサイクルのシステムが徹底されていて、ゴミは細かく分別して出さなくてはいけません。
日本でもゴミの分別収集はされていますが、スイスの分別の仕方はものすごく細かくて、ゴミ捨てひとつでも一苦労です。
でも各家庭ではそれを当たり前の事としてこなしていますし、綺麗なスイスはこの心掛けに支えられているのです。
スイスでは、ゴミが細かく分かれていますので、
どこに捨てたらいいか分からないかもしれません。
スイスでは、缶入り飲料は少なく、びん入りが多いです。
びんは、緑、茶色、透明など、色別に分けて、リサイクルしなくてはいけません。
ペットボトルの回収も積極的に行われています。
「ツェルマットの場合」
マッターホルンの山麓、ヴァリス地方にあるツェルマットという街へは、普通の自動車で上がる事は出来ません。
ここで走る事が出来る車は消防車など、特別な車を除いて、全て排気ガスの出ない電気自動車か馬車です。
住民や観光客はみな、登山鉄道を活用しています。
スイスの環境問題①
「自然を守る法律」
スイスは早い時期から環境保全問題に取り組んで来ました。
自分の国の自然を守るために、多くの保護法が出来ています。
例えば、森林を伐採する時は許可を取った上、伐採した後には新しい苗木を植えなくてはならないなど、スイスの自然は厳しく保護・管理されています。
環境問題の中でも特に難しいのが、大気汚染の問題です。
スイスでは、なるべく自動車を使わず自転車や鉄道を利用して、排気ガスから出る二酸化炭素や有害な物質を減らそうと努力しています。
スイスの二酸化炭素の排出量は、ヨーロッパで一番少ないのです。
しかし大気に国境がある訳ではないので、周りのヨーロッパの国々から二酸化炭素や汚染物質は入って来ます。
難しいのは、大気汚染は地球全体の問題であり、一国だけ頑張っても大気の汚染問題は解決しない、という点でしょう。
スイスは早い時期から環境保全問題に取り組んで来ました。
自分の国の自然を守るために、多くの保護法が出来ています。
例えば、森林を伐採する時は許可を取った上、伐採した後には新しい苗木を植えなくてはならないなど、スイスの自然は厳しく保護・管理されています。
環境問題の中でも特に難しいのが、大気汚染の問題です。
スイスでは、なるべく自動車を使わず自転車や鉄道を利用して、排気ガスから出る二酸化炭素や有害な物質を減らそうと努力しています。
スイスの二酸化炭素の排出量は、ヨーロッパで一番少ないのです。
しかし大気に国境がある訳ではないので、周りのヨーロッパの国々から二酸化炭素や汚染物質は入って来ます。
難しいのは、大気汚染は地球全体の問題であり、一国だけ頑張っても大気の汚染問題は解決しない、という点でしょう。
スイスの自然
スイスを包み込むアルプス。
その雄大な自然の中で、厳しい自然環境の中で、人々は暮らしています。
自然と共に、山と共に暮らしているのです。
スイスは小さな国ですが、氷河で覆われた4000m以上の山もあります。
スイスは山の国なのです。
スイスの花と言えば「エーデルワイス」ですが、スイスの国花で、涼しい高原気候の所にしか咲きません(日本でも高い山には咲いています)
ハイキングに行くと、しばしば羊や山羊などに出会います。
※浮き出し迷路
長時間の飛行で退屈しないように、スイス航空の機内に置かれているパズルがあります。
迷路をたどって行くと有名な景色が現れます。
その雄大な自然の中で、厳しい自然環境の中で、人々は暮らしています。
自然と共に、山と共に暮らしているのです。
スイスは小さな国ですが、氷河で覆われた4000m以上の山もあります。
スイスは山の国なのです。
スイスの花と言えば「エーデルワイス」ですが、スイスの国花で、涼しい高原気候の所にしか咲きません(日本でも高い山には咲いています)
ハイキングに行くと、しばしば羊や山羊などに出会います。
※浮き出し迷路
長時間の飛行で退屈しないように、スイス航空の機内に置かれているパズルがあります。
迷路をたどって行くと有名な景色が現れます。
スイスの鉄道③
スイスの鉄道の特徴ですが、
「ホームが高くなっていない」
スイスだけではなく、ヨーロッパの列車は、乗り口にステップが付いていて、そこを登って乗り込む列車が多いです。
日本の列車にはステップがなく、代わりにホームが高くなっている事がほとんどですが、スイスでは大きな駅を除いて、ホームは大体が線路と同じ高さです。
「バス」
山岳地方や小さな谷あいの村々など、鉄道が走っていない所へ行くにはバスが便利です。
中でも郵便業務も行うポストバスは、もともとは郵便馬車だったため、郵便物が届く所ならどんな所へもバスを走らせています。
今は旅客のみを運ぶ線も増えています。
チューリッヒの駅に行くと、車両には「スイスの州の旗」が描かれています。
ポストバスは、スイスのポストと同じ黄色に塗られています。
※フランスにあるスイスの空港について
スイスの鉄道についてではないのですが、
バーゼル駅からポストバスで約15分ほど行くと、飛行機の便数と扱う旅客の量においてはスイスで3番目の国際空港、バーゼル空港に着きます。
しかしバーゼル空港は実はスイスではなく、フランスの領土内にあります。
山が多いスイスで空港を広げる事は難しく、フランスとの話し合いで、両国共同の空港をフランスに作る事になったのです。
フランス名は「ミュールーズ空港」と言います。
「ホームが高くなっていない」
スイスだけではなく、ヨーロッパの列車は、乗り口にステップが付いていて、そこを登って乗り込む列車が多いです。
日本の列車にはステップがなく、代わりにホームが高くなっている事がほとんどですが、スイスでは大きな駅を除いて、ホームは大体が線路と同じ高さです。
「バス」
山岳地方や小さな谷あいの村々など、鉄道が走っていない所へ行くにはバスが便利です。
中でも郵便業務も行うポストバスは、もともとは郵便馬車だったため、郵便物が届く所ならどんな所へもバスを走らせています。
今は旅客のみを運ぶ線も増えています。
チューリッヒの駅に行くと、車両には「スイスの州の旗」が描かれています。
ポストバスは、スイスのポストと同じ黄色に塗られています。
※フランスにあるスイスの空港について
スイスの鉄道についてではないのですが、
バーゼル駅からポストバスで約15分ほど行くと、飛行機の便数と扱う旅客の量においてはスイスで3番目の国際空港、バーゼル空港に着きます。
しかしバーゼル空港は実はスイスではなく、フランスの領土内にあります。
山が多いスイスで空港を広げる事は難しく、フランスとの話し合いで、両国共同の空港をフランスに作る事になったのです。
フランス名は「ミュールーズ空港」と言います。
スイスの鉄道②
スイスで一番古い鉄道は1847年、チューリッヒ⇔バーデン間に作られたものです。
その後、鉄道はスイス全国にはりめぐらされ、1871年には、1798mのリギ山のすぐ下まで登るヨーロッパ初のラック鉄道が開通しています。
スイスの鉄道には国鉄と私鉄があります。
私鉄は全鉄道の40%以上を占めていて、地方の鉄道や登山鉄道は、ほとんどが私鉄の運営です。
国鉄は正式には「スイス連邦鉄道」と言い、ドイツ語でSBB フランス語でCFF イタリア語でFFSと表記されます。
国鉄と私鉄は連帯感が強く、お互いの乗り継ぎもうまく行くようになっている事が多いです。
またスイス国内の特急、急行列車に乗る時、ほとんどの場合、特に別料金は掛かりません。
その後、鉄道はスイス全国にはりめぐらされ、1871年には、1798mのリギ山のすぐ下まで登るヨーロッパ初のラック鉄道が開通しています。
スイスの鉄道には国鉄と私鉄があります。
私鉄は全鉄道の40%以上を占めていて、地方の鉄道や登山鉄道は、ほとんどが私鉄の運営です。
国鉄は正式には「スイス連邦鉄道」と言い、ドイツ語でSBB フランス語でCFF イタリア語でFFSと表記されます。
国鉄と私鉄は連帯感が強く、お互いの乗り継ぎもうまく行くようになっている事が多いです。
またスイス国内の特急、急行列車に乗る時、ほとんどの場合、特に別料金は掛かりません。
スイスの鉄道①
スイスの交通といえば、何といっても鉄道です!
スイスの鉄道は、窓から見える景色が最高です。
スイスはヨーロッパの中でも進んだ鉄道王国です。
スイス国内を走っている鉄道の長さは、九州の鉄道に比べて約2倍の、5000km以上にもなるのです。
特に国土の多くを占める険しい山を登る登山鉄道が13路線もあって、どの路線でも、窓からはスイスの素晴らしい自然が眺められるのです。
(スイスで4番目に高い山、マッターホルンを眺められる登山電車は、ゴルナーグラ-ト登山鉄道です)
「最高地点3454m」
スイスで一番高い所を走っている鉄道は「ユングフラウ鉄道」で、最高地点のユングフラウ駅は何と海抜3454mです。
駅に降りても、いきなり走ったりしてはいけません。
富士山くらいの標高があり、空気が薄いからです。
日本のJRで一番高い所を走る小海線の最高地点が、野辺山駅(長野県)近くの1375mです。
これと比べると、スイスの鉄道の高さが良く分かります。
「ラック鉄道」
ラック鉄道とは、2本のレールの間にもう1本歯車を引っ掛ける役目のレールを引き、列車の歯車を「そこ」に噛み合わせて、急な坂を登って行く列車の事です。
世界で一番急な斜面を登るピラトゥス鉄道は480パーミルです。
つまり、1000m走ると、標高が480m上がるほど急で、列車の座席なども階段状になっています。
(エーグル⇔レザン間の登山鉄道などはそうです)
ランドヴァッサー橋を走る氷河特急など、
「あんなに高い所を電車が走っていて、落っこちたりしないのかなぁ」と思ったものです。
スイスの鉄道は、窓から見える景色が最高です。
スイスはヨーロッパの中でも進んだ鉄道王国です。
スイス国内を走っている鉄道の長さは、九州の鉄道に比べて約2倍の、5000km以上にもなるのです。
特に国土の多くを占める険しい山を登る登山鉄道が13路線もあって、どの路線でも、窓からはスイスの素晴らしい自然が眺められるのです。
(スイスで4番目に高い山、マッターホルンを眺められる登山電車は、ゴルナーグラ-ト登山鉄道です)
「最高地点3454m」
スイスで一番高い所を走っている鉄道は「ユングフラウ鉄道」で、最高地点のユングフラウ駅は何と海抜3454mです。
駅に降りても、いきなり走ったりしてはいけません。
富士山くらいの標高があり、空気が薄いからです。
日本のJRで一番高い所を走る小海線の最高地点が、野辺山駅(長野県)近くの1375mです。
これと比べると、スイスの鉄道の高さが良く分かります。
「ラック鉄道」
ラック鉄道とは、2本のレールの間にもう1本歯車を引っ掛ける役目のレールを引き、列車の歯車を「そこ」に噛み合わせて、急な坂を登って行く列車の事です。
世界で一番急な斜面を登るピラトゥス鉄道は480パーミルです。
つまり、1000m走ると、標高が480m上がるほど急で、列車の座席なども階段状になっています。
(エーグル⇔レザン間の登山鉄道などはそうです)
ランドヴァッサー橋を走る氷河特急など、
「あんなに高い所を電車が走っていて、落っこちたりしないのかなぁ」と思ったものです。
スイスの祭り
スイスには全国各地に、様々な伝統的なお祭りが残っています。
その一部を書いてみました。
「ゼクセロイテン」
復活祭の後の月曜日にチューリッヒで行われるゼクセロイテンは、スイスの春祭りの中で最も有名です。
高く積み上げられたまきのてっぺんにベーグ(冬じじい)と呼ばれる人形を立てて、まきに火を付けます。
冬の悪魔を追い払い、目前にせまった春を迎えるお祭りで、人形の首が燃えて落ちるまでの時間によって、その年の夏を占います。
春になって日が長くなり、18時まで仕事が出来るようになる事から、この名前が付いたそうです。
ドイツ語でゼクスは6、ロイテンは「鳴り響く」という意味です。
チューリッヒでのゼクセロイテンは、とても盛大に行うようです。
スイスの冬は長くて厳しいので、春の訪れの喜びは、大きいんですね。
「スイス建国記念日」
1291年8月1日がスイスの建国記念日です。
この日には、家々は花やスイスの国旗で飾られ、各地でパレードやイベントが開かれます。
また、スイス建国の英雄として伝えられているウィリアム・テルの劇なども行われます。
「牛追いの祭り」
夏の間、草が豊富な山で放牧していた牛を里へ下ろして来るお祭りです。
花やベルなどで飾り付けられた牛が行列して歩く様子は、微笑ましいです。
綺麗に飾られた牛がパレードで歩いているのです。
(牛のパレードなんて、面白いですね)

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その一部を書いてみました。
「ゼクセロイテン」
復活祭の後の月曜日にチューリッヒで行われるゼクセロイテンは、スイスの春祭りの中で最も有名です。
高く積み上げられたまきのてっぺんにベーグ(冬じじい)と呼ばれる人形を立てて、まきに火を付けます。
冬の悪魔を追い払い、目前にせまった春を迎えるお祭りで、人形の首が燃えて落ちるまでの時間によって、その年の夏を占います。
春になって日が長くなり、18時まで仕事が出来るようになる事から、この名前が付いたそうです。
ドイツ語でゼクスは6、ロイテンは「鳴り響く」という意味です。
チューリッヒでのゼクセロイテンは、とても盛大に行うようです。
スイスの冬は長くて厳しいので、春の訪れの喜びは、大きいんですね。
「スイス建国記念日」
1291年8月1日がスイスの建国記念日です。
この日には、家々は花やスイスの国旗で飾られ、各地でパレードやイベントが開かれます。
また、スイス建国の英雄として伝えられているウィリアム・テルの劇なども行われます。
「牛追いの祭り」
夏の間、草が豊富な山で放牧していた牛を里へ下ろして来るお祭りです。
花やベルなどで飾り付けられた牛が行列して歩く様子は、微笑ましいです。
綺麗に飾られた牛がパレードで歩いているのです。
(牛のパレードなんて、面白いですね)
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スイスのスポーツ
(スイス相撲)
いつからかはハッキリしないのですが、昔から伝わっていて、スイスの各地で行われています。
ちゃんとした競技になっていて、3年に一度の大会では、みんな真剣です。
ルールは簡単で、相手を押し倒して、地面に背中を付けさせたら勝ちです。
短い麻のズボンを履いて、お互い試合が終わるまで、それを離してはいけないのです。
日本の相撲とそっくりです。
(伝統的なスポーツ)
アルプスの山々を頂くスイスでは、人々は古くからスキーに親しんで来ました。
今では、スイス全体で200か所以上のスキー場があるといいます。
そのほかには、旗を飛ばして、落ちて来るところを小さな枝で受け止める旗投げや、台の上に置いた円盤をバットで打ち、別の人がそれをキャッチするものなど、ユニークなスポーツも多いです。
面白いのは、これらのスポーツが必ず音楽と一緒になっている事です。
賑やかに行われるスポーツは、スポーツというよりお祭りに近いです。
(サッカー)
ほかのヨーロッパ諸国と同じように、スイスでもサッカーは盛んで、人気があります。
スイスのサッカーの歴史は古く、国内一部リーグ所属のチームのほとんどが、20世紀初めまでに創立されています。
ヨーロッパ全体からすると、リーグのレベルは高くありませんが、スイス代表チームが、1994年にはアメリカ・ワールドカップに、1996年にはヨーロッパ選手権に出場した事もあります。
ドイツやイタリアのリーグで活躍する選手も輩出しています。
(K-1)
K-1のKは、空手、カンフー、キックボクシングなど、立って行う競技や、格闘技そのものの頭文字Kから取ったものです。
K-1は、立ち技格闘技のナンバー1の選手を決める、日本で生まれた国際大会の事です。
アンディ・フグはスイスが誇る格闘家で、多くの人が、負けても決して諦めず戦い続けるその姿に惹きつけられました。
1993年から日本の正道会館に所属し、修行をしていましたが、2000年8月24日、病気のため、若くしてこの世を去りました。
いつからかはハッキリしないのですが、昔から伝わっていて、スイスの各地で行われています。
ちゃんとした競技になっていて、3年に一度の大会では、みんな真剣です。
ルールは簡単で、相手を押し倒して、地面に背中を付けさせたら勝ちです。
短い麻のズボンを履いて、お互い試合が終わるまで、それを離してはいけないのです。
日本の相撲とそっくりです。
(伝統的なスポーツ)
アルプスの山々を頂くスイスでは、人々は古くからスキーに親しんで来ました。
今では、スイス全体で200か所以上のスキー場があるといいます。
そのほかには、旗を飛ばして、落ちて来るところを小さな枝で受け止める旗投げや、台の上に置いた円盤をバットで打ち、別の人がそれをキャッチするものなど、ユニークなスポーツも多いです。
面白いのは、これらのスポーツが必ず音楽と一緒になっている事です。
賑やかに行われるスポーツは、スポーツというよりお祭りに近いです。
(サッカー)
ほかのヨーロッパ諸国と同じように、スイスでもサッカーは盛んで、人気があります。
スイスのサッカーの歴史は古く、国内一部リーグ所属のチームのほとんどが、20世紀初めまでに創立されています。
ヨーロッパ全体からすると、リーグのレベルは高くありませんが、スイス代表チームが、1994年にはアメリカ・ワールドカップに、1996年にはヨーロッパ選手権に出場した事もあります。
ドイツやイタリアのリーグで活躍する選手も輩出しています。
(K-1)
K-1のKは、空手、カンフー、キックボクシングなど、立って行う競技や、格闘技そのものの頭文字Kから取ったものです。
K-1は、立ち技格闘技のナンバー1の選手を決める、日本で生まれた国際大会の事です。
アンディ・フグはスイスが誇る格闘家で、多くの人が、負けても決して諦めず戦い続けるその姿に惹きつけられました。
1993年から日本の正道会館に所属し、修行をしていましたが、2000年8月24日、病気のため、若くしてこの世を去りました。
スイスの遊び
スイスではどんな事をして遊ぶのでしょうか?
スイスの遊びで知っているものを、2つ書いてみました。
監獄送り
遊び方はドッジボールとほとんど同じです。
監獄というのは刑務所の事です。
1.まず2チームに分かれます(人数は何人でも良い)
2.地面に1本の線を引き、線の両側に2チームがそれぞれ入ります。
3.ドッジボールと同じように、2チームが交代でボールをぶつけあいます。
線から出てはいけません。
当たってしまった人はゲームから抜けます。
(この事を「監獄に送られる」と言います)
4.全員がボールに当たって監獄に送られてしまったチームの負けです。
なわとび遊び
何人でも遊べます。
1.1人がなわを持って、真ん中に立って鬼になり、残りの人はその人をぐるっと丸く囲んで立ちます。
2.鬼が回す「なわとび」に当たらないように、タイミング良くジャンプします。
3.なわに当たってしまった人は、鬼になります。
後はジャンケンをして勝った方が、「カモシカ」「アルプスマーモット」などと言って、言葉の数だけ歩いたり、階段を上ったり下りたりする遊びがあったような気がします。
言葉は違いますが、日本の遊びと似ていますね。
スイスの遊びで知っているものを、2つ書いてみました。
監獄送り
遊び方はドッジボールとほとんど同じです。
監獄というのは刑務所の事です。
1.まず2チームに分かれます(人数は何人でも良い)
2.地面に1本の線を引き、線の両側に2チームがそれぞれ入ります。
3.ドッジボールと同じように、2チームが交代でボールをぶつけあいます。
線から出てはいけません。
当たってしまった人はゲームから抜けます。
(この事を「監獄に送られる」と言います)
4.全員がボールに当たって監獄に送られてしまったチームの負けです。
なわとび遊び
何人でも遊べます。
1.1人がなわを持って、真ん中に立って鬼になり、残りの人はその人をぐるっと丸く囲んで立ちます。
2.鬼が回す「なわとび」に当たらないように、タイミング良くジャンプします。
3.なわに当たってしまった人は、鬼になります。
後はジャンケンをして勝った方が、「カモシカ」「アルプスマーモット」などと言って、言葉の数だけ歩いたり、階段を上ったり下りたりする遊びがあったような気がします。
言葉は違いますが、日本の遊びと似ていますね。
スイス 学校訪問⑤
チューリッヒ日本人学校の特徴の1つは、小学1年生から英語とドイツ語を学習する事です。
ドイツ語を学ぶのはチューリッヒ州の決まりでもありますが、ドイツ語圏に住む子供達との国際理解にとても役立ちます。
2つ目は、地元の行事に積極的に参加する事です。
チューリッヒに住む色々な国の子供達が民族衣装を着てパレードする春祭りに、日本人学校も参加しました(馬車に乗って太鼓を演奏する、ハッピ姿の日本人学校の子供達もいました)
またチューリッヒのに日本人学校では、国際理解・現地理解教育の一環として校外学習を行っています。
1997年度の中学部は、スイスの特色の1つである「核シェルター」などの見学に行きました。
良く映画などで見ますが、スイスには実際にあるのです。
スイスは永世中立国ですが、核シェルターがあります。
ずっしりと重い扉で、普段は倉庫として使っていますが、空気循環装置などが整っています。
※スイスでは、1959年核シェルターの設置が法律で決められました。
2度の世界大戦の経験から、国民を保護する必要がある時に、自衛の目的で使用するためです。
スイスでは、戦争や災害の時、自分達の手で自分達を守るという考えが基本にあるために、こうした施設が設けられました。
核シェルターは、各地区ごとに地区住民を収容出来るだけあり、定員になった状態で1か月生活出来るようになっているそうです。
ドイツ語を学ぶのはチューリッヒ州の決まりでもありますが、ドイツ語圏に住む子供達との国際理解にとても役立ちます。
2つ目は、地元の行事に積極的に参加する事です。
チューリッヒに住む色々な国の子供達が民族衣装を着てパレードする春祭りに、日本人学校も参加しました(馬車に乗って太鼓を演奏する、ハッピ姿の日本人学校の子供達もいました)
またチューリッヒのに日本人学校では、国際理解・現地理解教育の一環として校外学習を行っています。
1997年度の中学部は、スイスの特色の1つである「核シェルター」などの見学に行きました。
良く映画などで見ますが、スイスには実際にあるのです。
スイスは永世中立国ですが、核シェルターがあります。
ずっしりと重い扉で、普段は倉庫として使っていますが、空気循環装置などが整っています。
※スイスでは、1959年核シェルターの設置が法律で決められました。
2度の世界大戦の経験から、国民を保護する必要がある時に、自衛の目的で使用するためです。
スイスでは、戦争や災害の時、自分達の手で自分達を守るという考えが基本にあるために、こうした施設が設けられました。
核シェルターは、各地区ごとに地区住民を収容出来るだけあり、定員になった状態で1か月生活出来るようになっているそうです。
スイス 学校訪問④
公文レザン・アカデミーという高校も、レザン・アメリカン・スクールと同じで、全寮制の高校です。
でもここは、ほとんどが日本人です。
日本人の高校生が、スイスの大自然の中で寮生活をしながら、3年間勉強して、卒業すると日本の大学に行ったり、インターナショナル・バカロレアという資格を取って、アメリカの大学に進んでいます。
英語の授業、英語での討論会、英語で行う社会の授業、コンピューターの授業と、様々な授業があり、クラブ活動があり、夕食の後は自習、22時以降は部屋での時間で、その後は消灯です。
これが月曜から木曜までの1日のスケジュールで、金曜日は夕食の後は自由です。
これが寮での生活で、食事は学校のカフェテリアで、バイキング式で食べます。
※インターナショナル・バカロレアとは、世界で最も権威のある高校卒業程度認定制度の事です。
ジュネーヴに本部があります。
現在、世界100か国、約800校の高校が採用していて、イギリスのオックスフォードやケンブリッジ、アメリカの有名な大学などは、そのディプロマ(卒業資格証書)取得者に優先的入学資格を認めています。
カリキュラムは、高校2年間のためのディプロマ・プログラムと、小中学校のプログラムがあり、コレ-ジュ・デュ・レマン、レザン・アメリカン・スクール、公文レザン・アカデミーを始め、スイスでは多くの学校が採用しています。
日本では、これを採用している学校はごくわずかですが、学校の多様化と国際化が叫ばれる中、このカリキュラムの採用を唱える研究者、政治家が増えて来ています。
でもここは、ほとんどが日本人です。
日本人の高校生が、スイスの大自然の中で寮生活をしながら、3年間勉強して、卒業すると日本の大学に行ったり、インターナショナル・バカロレアという資格を取って、アメリカの大学に進んでいます。
英語の授業、英語での討論会、英語で行う社会の授業、コンピューターの授業と、様々な授業があり、クラブ活動があり、夕食の後は自習、22時以降は部屋での時間で、その後は消灯です。
これが月曜から木曜までの1日のスケジュールで、金曜日は夕食の後は自由です。
これが寮での生活で、食事は学校のカフェテリアで、バイキング式で食べます。
※インターナショナル・バカロレアとは、世界で最も権威のある高校卒業程度認定制度の事です。
ジュネーヴに本部があります。
現在、世界100か国、約800校の高校が採用していて、イギリスのオックスフォードやケンブリッジ、アメリカの有名な大学などは、そのディプロマ(卒業資格証書)取得者に優先的入学資格を認めています。
カリキュラムは、高校2年間のためのディプロマ・プログラムと、小中学校のプログラムがあり、コレ-ジュ・デュ・レマン、レザン・アメリカン・スクール、公文レザン・アカデミーを始め、スイスでは多くの学校が採用しています。
日本では、これを採用している学校はごくわずかですが、学校の多様化と国際化が叫ばれる中、このカリキュラムの採用を唱える研究者、政治家が増えて来ています。
スイス 学校訪問③
エーグルの小学校の場所を見てみると分かるのですが、エーグルは登山電車の始発駅になっています。
レザンという駅のすぐ近くには、レザン・アメリカン・スクールと日本の公文レザン・アカデミーという私立高校とが、隣り合わせにあります。
山の上で通えないので、全員が寮に入って生活しながら勉強しています。
世界中から来た高校生が、一緒に寮生活をするのです。
きっといろんな国の言葉が飛び交っている事でしょう。
寮は3人一部屋で、なるべく異なった(違う)言葉で話す人を一緒にしています。
学校では部屋に入ると英語と母国語を使っています。
もちろん日本人もいます。
この学校の卒業生には、「ロッキー」で主演した世界的に有名な俳優シルベスター・スタローンがいるのです。
※レザン・アメリカン・スクールでは、社会福祉活動が、子供の生活の中で大きな役割を果たしています。
日頃から募金活動や奉仕活動をしたり、海外に出掛けてボランティア活動に参加する事もあります。
毎年11月に行われる強化週間には、生徒全員が体育館に集まり、ロウソクの火の下で、貧困や飢餓と戦っている人々の事を考えながら、朗読をしたり、歌を歌ったりします。
レザンという駅のすぐ近くには、レザン・アメリカン・スクールと日本の公文レザン・アカデミーという私立高校とが、隣り合わせにあります。
山の上で通えないので、全員が寮に入って生活しながら勉強しています。
世界中から来た高校生が、一緒に寮生活をするのです。
きっといろんな国の言葉が飛び交っている事でしょう。
寮は3人一部屋で、なるべく異なった(違う)言葉で話す人を一緒にしています。
学校では部屋に入ると英語と母国語を使っています。
もちろん日本人もいます。
この学校の卒業生には、「ロッキー」で主演した世界的に有名な俳優シルベスター・スタローンがいるのです。
※レザン・アメリカン・スクールでは、社会福祉活動が、子供の生活の中で大きな役割を果たしています。
日頃から募金活動や奉仕活動をしたり、海外に出掛けてボランティア活動に参加する事もあります。
毎年11月に行われる強化週間には、生徒全員が体育館に集まり、ロウソクの火の下で、貧困や飢餓と戦っている人々の事を考えながら、朗読をしたり、歌を歌ったりします。
スイス 学校訪問②
スイスの公立の小学校の1クラスの人数は多くても25人位です。
地方によって差はありますが、外国人の比率は高いです。
またスイスの学校には落第制度があります。
ですが、その子のレベルに合ったクラスで勉強するためですから、少しも恥ずかしい事ではないのです。
エーグルの公立小学校などは、建物も立派で校庭も広いです。
グループで仲良く登校します。
自転車通学の上級生もいます。
※スイスの教育制度は、州によって大きく違っています。
義務教育は、基本的には小学校(6歳からの6年間)と中学校(12歳からの3年間)ですが、州によって、義務教育の合計が8年間だったり9年間だったりします。
また使用言語やカリキュラムなども違っています。
スイス全土として統一された教育制度がなく、日本の文部科学省のような存在もありません。
中学校の教育は多様な学校、コースに分かれており、大別すると普通高校と職業訓練学校があります。スイスでは、どんな資格を持っているかが就職を左右します。
そのため資格を取るために、実地に専門分野が学べる職業高等学校に進学する子供たちは多く、全体の80%近いと言います。さらに専門知識を学ぶ時は、高等専門学校へと進みます。
一方、高等学校に進学した子供たちは、卒業時に国家試験を受けます。
これに合格すると卒業証書を取得でき、同時に大学進学の資格となります。
(ィンターナショナル・バカロレアもこうした資格の1つです)
※ウスター市の小学校5年生の授業科目の例ですが、ドイツ語、フランス語、英語、算数、芸術、総合、会話、聖書などです。
ドイツ語、フランス語と英語、また芸術、算数を選択して学習します。
総合は社会、理科の総合科目で、芸術は音楽、図工、家庭工作です。
地方によって差はありますが、外国人の比率は高いです。
またスイスの学校には落第制度があります。
ですが、その子のレベルに合ったクラスで勉強するためですから、少しも恥ずかしい事ではないのです。
エーグルの公立小学校などは、建物も立派で校庭も広いです。
グループで仲良く登校します。
自転車通学の上級生もいます。
※スイスの教育制度は、州によって大きく違っています。
義務教育は、基本的には小学校(6歳からの6年間)と中学校(12歳からの3年間)ですが、州によって、義務教育の合計が8年間だったり9年間だったりします。
また使用言語やカリキュラムなども違っています。
スイス全土として統一された教育制度がなく、日本の文部科学省のような存在もありません。
中学校の教育は多様な学校、コースに分かれており、大別すると普通高校と職業訓練学校があります。スイスでは、どんな資格を持っているかが就職を左右します。
そのため資格を取るために、実地に専門分野が学べる職業高等学校に進学する子供たちは多く、全体の80%近いと言います。さらに専門知識を学ぶ時は、高等専門学校へと進みます。
一方、高等学校に進学した子供たちは、卒業時に国家試験を受けます。
これに合格すると卒業証書を取得でき、同時に大学進学の資格となります。
(ィンターナショナル・バカロレアもこうした資格の1つです)
※ウスター市の小学校5年生の授業科目の例ですが、ドイツ語、フランス語、英語、算数、芸術、総合、会話、聖書などです。
ドイツ語、フランス語と英語、また芸術、算数を選択して学習します。
総合は社会、理科の総合科目で、芸術は音楽、図工、家庭工作です。
スイス 学校訪問①
スイスには、国際都市らしく、色々な種類の学校があります。
世界各国の子供が通う学校もあるようです。
①コレ-ジュ・デュ・レマン
スイスには国際機関がたくさんあります。
ですから外国人もとても多いです。
そういう人達の子供が通うコレ-ジュ・デュ・レマンという学校が、ジュネーヴ郊外のヴェルソワにあります。
学校の看板が英語とフランス語で書いてあります。
フランス語でエコール(Ecole)は学校の意味です。
コレ-ジュ・デュ・レマンは1960年に設立された学校で、幼稚園から高校までの一貫した教育を行っている私立の学校です。
日本人を含め、世界数十か国の国籍を持つ子供がいます。
ィンターナショナル・バカロレアのカリキュラムにより、卒業後イギリス、アメリカ、カナダなど、世界中の大学へ進学する子供が多いです。
※スイスにある主な国際機関
ILO国際労働機関(ジュネーヴ)
WWF世界自然保護基金(ジュネーヴ)
IOC国際オリンピック委員会(ローザンヌ)
IUCN国際自然保護連合(グラン)
WHO世界保健機関(ジュネーヴ)
WTO世界貿易機関(ジュネーヴ)
世界各国の子供が通う学校もあるようです。
①コレ-ジュ・デュ・レマン
スイスには国際機関がたくさんあります。
ですから外国人もとても多いです。
そういう人達の子供が通うコレ-ジュ・デュ・レマンという学校が、ジュネーヴ郊外のヴェルソワにあります。
学校の看板が英語とフランス語で書いてあります。
フランス語でエコール(Ecole)は学校の意味です。
コレ-ジュ・デュ・レマンは1960年に設立された学校で、幼稚園から高校までの一貫した教育を行っている私立の学校です。
日本人を含め、世界数十か国の国籍を持つ子供がいます。
ィンターナショナル・バカロレアのカリキュラムにより、卒業後イギリス、アメリカ、カナダなど、世界中の大学へ進学する子供が多いです。
※スイスにある主な国際機関
ILO国際労働機関(ジュネーヴ)
WWF世界自然保護基金(ジュネーヴ)
IOC国際オリンピック委員会(ローザンヌ)
IUCN国際自然保護連合(グラン)
WHO世界保健機関(ジュネーヴ)
WTO世界貿易機関(ジュネーヴ)
スイス チーズ作り
チーズの作り方の図
モーニングミルク(80kg) イブニングミルク(160kg)
↓ ↓
大なべで混ぜる
↓
遠心力で分離させる←ホエ-←(チーズの質の分かれ道)→チーズ・フレッシュ→精製する
↓ ↓ ↓
脂肪ゼロのホエ- (幾つかの工程を踏んで) 精製されたチーズ
↓ ↓ (不純物を取り除いたチーズ)
ブタのエサ セラクチーズ
(白い四角いチーズが出来る)
↓
ホエ-クリーム
↓
バター
モーニングミルクは、チーズとは別に、コーヒーやデザートの生クリームとしても使われます。
※モーニングミルク(朝に絞ったミルクの事)
※イブニングミルク(夕方に絞ったミルクの事)
※ホエ-(チーズを作る時にチーズ・フレッシュと分かれた液の事)
1.朝と夕方に絞った牛乳を合わせて鍋で熱する
2.ゆっくりかき混ぜる
3.布でこす
4.味見をする
5.圧縮した後、塩をまぶして約6カ月ねかせる
スイスの小学校の子供達が、チーズ作りを見学に行く事があるそうです。
(塩分の入っていない出来たてのチーズは、日本では滅多に食べられませんね)
出来たてのチーズは、温かくてやわらかくて、豆腐みたいです。
モーニングミルク(80kg) イブニングミルク(160kg)
↓ ↓
大なべで混ぜる
↓
遠心力で分離させる←ホエ-←(チーズの質の分かれ道)→チーズ・フレッシュ→精製する
↓ ↓ ↓
脂肪ゼロのホエ- (幾つかの工程を踏んで) 精製されたチーズ
↓ ↓ (不純物を取り除いたチーズ)
ブタのエサ セラクチーズ
(白い四角いチーズが出来る)
↓
ホエ-クリーム
↓
バター
モーニングミルクは、チーズとは別に、コーヒーやデザートの生クリームとしても使われます。
※モーニングミルク(朝に絞ったミルクの事)
※イブニングミルク(夕方に絞ったミルクの事)
※ホエ-(チーズを作る時にチーズ・フレッシュと分かれた液の事)
1.朝と夕方に絞った牛乳を合わせて鍋で熱する
2.ゆっくりかき混ぜる
3.布でこす
4.味見をする
5.圧縮した後、塩をまぶして約6カ月ねかせる
スイスの小学校の子供達が、チーズ作りを見学に行く事があるそうです。
(塩分の入っていない出来たてのチーズは、日本では滅多に食べられませんね)
出来たてのチーズは、温かくてやわらかくて、豆腐みたいです。
スイスの代表的な料理
スイスの料理で有名なのは、チーズ料理とジャガイモ料理です。
日本でも良く知られているチーズ料理の代表がチーズ・フォンデュですが、鍋にニンニクをこすり付けて香りを付け、チーズとワイン、好みでコショウなどを加えて火にかけます。
トロトロに溶けたチーズを、柄の長いフォークに刺したパンに付けながら食べます。
フォンデュはフランス語で「溶けた」という意味で、チーズのほかにもチョコレートを使った甘いものもあります。
ですがスイスの人がいつもチーズ・フォンデュを食べている訳ではありません。
どちらかと言えば、お客さんが来た時など、人数が集まった時に、ワイワイと話をしながら食べるのにピッタリの冬の料理なのです。
スイスの料理にはチーズのほかに、ジャガイモも良く使われます。
一般的なのはレシュティで、茹でたジャガイモを細切りにして、油をひいたフライパンで焼き色を付け、揚げタマネギやベーコン、チーズを加えて作ります。
またスイスは、ほかのヨーロッパ諸国に囲まれているため、料理にもそれらの国々の影響が表れていて、肉料理、魚料理、野菜料理など変化に富んでいます。
1日のメインの食事は、温かい昼食です。
夕食はあまり火を使わない軽い食事が中心で、パンとハム、チーズ、サラダ、冬はスープなどを添えます。
※ラクレットも代表的なチーズ料理です。
分厚いチーズを半分に切り、切り口を火で温めて溶かし、これを茹でたジャガイモに付けて食べます。
(チーズの切り口を火であぶる→溶けた部分をナイフでそぎ落とす→茹で上がったジャガイモにかけて、チーズが温かいうちに食べます)
ですがスイスでは、家族や友達と食事をする時は、会話が何よりのご馳走になると良く言います。
日本でも良く知られているチーズ料理の代表がチーズ・フォンデュですが、鍋にニンニクをこすり付けて香りを付け、チーズとワイン、好みでコショウなどを加えて火にかけます。
トロトロに溶けたチーズを、柄の長いフォークに刺したパンに付けながら食べます。
フォンデュはフランス語で「溶けた」という意味で、チーズのほかにもチョコレートを使った甘いものもあります。
ですがスイスの人がいつもチーズ・フォンデュを食べている訳ではありません。
どちらかと言えば、お客さんが来た時など、人数が集まった時に、ワイワイと話をしながら食べるのにピッタリの冬の料理なのです。
スイスの料理にはチーズのほかに、ジャガイモも良く使われます。
一般的なのはレシュティで、茹でたジャガイモを細切りにして、油をひいたフライパンで焼き色を付け、揚げタマネギやベーコン、チーズを加えて作ります。
またスイスは、ほかのヨーロッパ諸国に囲まれているため、料理にもそれらの国々の影響が表れていて、肉料理、魚料理、野菜料理など変化に富んでいます。
1日のメインの食事は、温かい昼食です。
夕食はあまり火を使わない軽い食事が中心で、パンとハム、チーズ、サラダ、冬はスープなどを添えます。
※ラクレットも代表的なチーズ料理です。
分厚いチーズを半分に切り、切り口を火で温めて溶かし、これを茹でたジャガイモに付けて食べます。
(チーズの切り口を火であぶる→溶けた部分をナイフでそぎ落とす→茹で上がったジャガイモにかけて、チーズが温かいうちに食べます)
ですがスイスでは、家族や友達と食事をする時は、会話が何よりのご馳走になると良く言います。
スイス 家の中の様子
スイスでは、窓辺に花を飾ったり、庭の手入れをする事を、市や街の条例で定められている所もあります。スイスの家はどれも、お花がとても良く似合います。
綺麗なスイスをみんなで守って行こうという気持ちの表れなのだと思います。
旅行していても、どこもかしこも、街も通りも、お店も、ホテルも、駅でも、家にも、至る所に花があり、花が飾られていて、「こんな所にも?」と思う場所にも花がありました。
ゴミを捨ててはいけないとか、犬の糞用のゴミ箱(糞ボックス)があったり、自然も綺麗ですが、街も村も、通りも、家も建物も、清潔で綺麗に保たれていました。
街にも村にも、通りにも、ゴミひとつ落ちていないのです。
ほんのちょっとした所でも、ほんの少しの事でも、清潔に綺麗にする工夫がされていて、感心しました。ホテルも安くて小さなホテルでも、清潔で快適に過ごせました。
お土産屋さんに入った時、日本語を話せるスタッフの方とお話をした時、「本当に綺麗な国ですよね」と言っていました。
グリンデルワルトで、現地の方とお話をした時は、「最近は年々、家を建てるのも厳しくなっていて、理由はこれ以上、家が増えると景観を壊してしまうから」という事でした。
観光の国という事もあるのでしょうけれど、自分達の国は自分達で守るという意識が強く、それだけ美しい自然と景観を守るという事を大切にしているのだなと思いました。
実際スイス人の友人のお宅に行って、食事を頂いた事がありましたが、窓辺を花で綺麗に飾った家で、居心地の良いリビング、小さいけれど使いやすいキッチンと、家の中もとても清潔で綺麗でした。
綺麗なスイスをみんなで守って行こうという気持ちの表れなのだと思います。
旅行していても、どこもかしこも、街も通りも、お店も、ホテルも、駅でも、家にも、至る所に花があり、花が飾られていて、「こんな所にも?」と思う場所にも花がありました。
ゴミを捨ててはいけないとか、犬の糞用のゴミ箱(糞ボックス)があったり、自然も綺麗ですが、街も村も、通りも、家も建物も、清潔で綺麗に保たれていました。
街にも村にも、通りにも、ゴミひとつ落ちていないのです。
ほんのちょっとした所でも、ほんの少しの事でも、清潔に綺麗にする工夫がされていて、感心しました。ホテルも安くて小さなホテルでも、清潔で快適に過ごせました。
お土産屋さんに入った時、日本語を話せるスタッフの方とお話をした時、「本当に綺麗な国ですよね」と言っていました。
グリンデルワルトで、現地の方とお話をした時は、「最近は年々、家を建てるのも厳しくなっていて、理由はこれ以上、家が増えると景観を壊してしまうから」という事でした。
観光の国という事もあるのでしょうけれど、自分達の国は自分達で守るという意識が強く、それだけ美しい自然と景観を守るという事を大切にしているのだなと思いました。
実際スイス人の友人のお宅に行って、食事を頂いた事がありましたが、窓辺を花で綺麗に飾った家で、居心地の良いリビング、小さいけれど使いやすいキッチンと、家の中もとても清潔で綺麗でした。
スイス 市民の暮らし
大きな都市で働く人の多くは、街の中心部から少し離れた、郊外の庭のある家に住んでいます。
(チューリッヒ郊外の家並みも自然も、とても綺麗です)
街の中心部があまり大きくないため、車なら15分位ですぐに郊外へ行く事が出来、街と自然の両方を楽しみながら生活出来ます。
また昼食は、大人も子供も家に帰って来て、家族みんなで一緒に食べるのが普通です。
晴れた夏の日などは、テラスや庭で食事をする人を良く見掛けます。
夏の空気はカラッとしているので、30度を超える日でも日陰に入れば、それほど暑くなく、ほとんどの家にはクーラーが付いていません。
自然の中で生活する事が出来るスイスの人達には、屋外で食事をしたり、週末にバーベキューをしたりという事は、ごく自然な事のようです。
わざわざ遠くまで出掛けなくても、ゆっくりとした時間を過ごす事が出来ているようです。
オープンカフェで昼食を楽しむ人々もいます。
スイスはスーパーにもお昼休みがあります。
スーパーだけではなく、お昼休みのあるお店はたくさんあります。
夕方も18時半にはほとんど閉まってしまいますし、日曜日はお休みです。
私もスイスに行った時は、街でも村でも、お店はどこもお昼休みがあり、夕方早くに閉まってしまいました。
スイスにはどこへ行っても、チョコレートが売っていました。
※チョコレートの原料のカカオは、アフリカやブラジルの特産物です。
それにも関わらず、スイスのチョコレートが世界的に有名になったのは、スイス人がミルクチョコレートを発明したからなのです。
もともとカカオはココアとしては飲まれていたのですが、それに牛乳を加えて固形にし、口では溶けますが手では溶けにくいミルクチョコレートを作るために、色々な工夫がされました。
スイスでこのチョコレートの作り方が発明され、実際に作られるようになったのは19世紀頃です。
今ではナッツやドライフルーツなどが入ったもの、やわらかいもの、固いものなど、様々なチョコレートが世界中で売られるようになったのです。
こうして見ると、チョコレートもスイスの文化なのではないでしょうか?
(チューリッヒ郊外の家並みも自然も、とても綺麗です)
街の中心部があまり大きくないため、車なら15分位ですぐに郊外へ行く事が出来、街と自然の両方を楽しみながら生活出来ます。
また昼食は、大人も子供も家に帰って来て、家族みんなで一緒に食べるのが普通です。
晴れた夏の日などは、テラスや庭で食事をする人を良く見掛けます。
夏の空気はカラッとしているので、30度を超える日でも日陰に入れば、それほど暑くなく、ほとんどの家にはクーラーが付いていません。
自然の中で生活する事が出来るスイスの人達には、屋外で食事をしたり、週末にバーベキューをしたりという事は、ごく自然な事のようです。
わざわざ遠くまで出掛けなくても、ゆっくりとした時間を過ごす事が出来ているようです。
オープンカフェで昼食を楽しむ人々もいます。
スイスはスーパーにもお昼休みがあります。
スーパーだけではなく、お昼休みのあるお店はたくさんあります。
夕方も18時半にはほとんど閉まってしまいますし、日曜日はお休みです。
私もスイスに行った時は、街でも村でも、お店はどこもお昼休みがあり、夕方早くに閉まってしまいました。
スイスにはどこへ行っても、チョコレートが売っていました。
※チョコレートの原料のカカオは、アフリカやブラジルの特産物です。
それにも関わらず、スイスのチョコレートが世界的に有名になったのは、スイス人がミルクチョコレートを発明したからなのです。
もともとカカオはココアとしては飲まれていたのですが、それに牛乳を加えて固形にし、口では溶けますが手では溶けにくいミルクチョコレートを作るために、色々な工夫がされました。
スイスでこのチョコレートの作り方が発明され、実際に作られるようになったのは19世紀頃です。
今ではナッツやドライフルーツなどが入ったもの、やわらかいもの、固いものなど、様々なチョコレートが世界中で売られるようになったのです。
こうして見ると、チョコレートもスイスの文化なのではないでしょうか?
スイスの4大都市③
スイスの4大都市。
首都ベルン、大都市チューリッヒ、国際都市ジュネーヴ、港の街バーゼルと、それぞれに特徴があり、街の様子も違います。
スイスでは秋から冬にかけては焼き栗屋さんを見掛けます。
スイスの街では犬を連れている人を良く目にします。
それと同じように多いのが、犬の糞を捨てるためのビニール袋とゴミ箱(犬の糞ボックス)です。
スイスのきれいな街は、こんなところからも守られています。
スイスの街の見どころは?と言うと、「清潔さ」だと思うのです。
スイスって本当にきれいな国です。
スイスの街角では、新聞の自動販売機を良く見掛けます。
日曜日は新聞の休刊日ですが、日曜日でも買える新聞もあります。
またスイスなのに、日本車を使ったタクシーを見掛けます。
スイスに限らずヨーロッパでは、日本の小型自動車が人気です。
※国際赤十字についてですが、スイス人アンリ・デュナンの「戦争で傷付いた兵士は、敵味方の区別なく、同じ人間として救わなければならない」という考え方を受けて、1863年に赤十字国際委員会が、さらに1919年には平和活動を行う国際赤十字・赤新月社連盟が創設されました。
現在は176カ国にある赤十字社と共に「国際赤十字」として、世界中で人道的な活動をしています。アンリ・デュナンの生地ジュネーヴに、本部が置かれています。
首都ベルン、大都市チューリッヒ、国際都市ジュネーヴ、港の街バーゼルと、それぞれに特徴があり、街の様子も違います。
スイスでは秋から冬にかけては焼き栗屋さんを見掛けます。
スイスの街では犬を連れている人を良く目にします。
それと同じように多いのが、犬の糞を捨てるためのビニール袋とゴミ箱(犬の糞ボックス)です。
スイスのきれいな街は、こんなところからも守られています。
スイスの街の見どころは?と言うと、「清潔さ」だと思うのです。
スイスって本当にきれいな国です。
スイスの街角では、新聞の自動販売機を良く見掛けます。
日曜日は新聞の休刊日ですが、日曜日でも買える新聞もあります。
またスイスなのに、日本車を使ったタクシーを見掛けます。
スイスに限らずヨーロッパでは、日本の小型自動車が人気です。
※国際赤十字についてですが、スイス人アンリ・デュナンの「戦争で傷付いた兵士は、敵味方の区別なく、同じ人間として救わなければならない」という考え方を受けて、1863年に赤十字国際委員会が、さらに1919年には平和活動を行う国際赤十字・赤新月社連盟が創設されました。
現在は176カ国にある赤十字社と共に「国際赤十字」として、世界中で人道的な活動をしています。アンリ・デュナンの生地ジュネーヴに、本部が置かれています。
スイスの4大都市②
チューリッヒは人口40万人のスイスで一番大きな都市です。
紀元前から北イタリアと北ヨーロッパを結ぶ交通の要として発展して来ました。
その頃は、リンデンホフの丘に税関が置かれていました。
チューリッヒという名前は、その税関の名前「トゥ-リクム」から来ています。
チューリッヒの街を流れるリマト川は、チューリッヒから流れ出ています。
チューリッヒには国際空港の「クローテン空港」もあります。
ジュネーヴですが、街の周囲のほとんどをフランスに囲まれ、公用語もフランス語です。
西ヨーロッパ一の広さを持つレマン湖の、一番西のほとりにあります。
国際連合のヨーロッパ本部のほか、国際機関が多く、外国人の数は市民の3分の1にも上ります。
サン・ピエール寺院を中心とした旧市街は2000年の歴史を持ち、その街並みは何百年も前にタイムスリップしたようです。
悠大な自然に囲まれたジュネーヴの街はとても美しく、ジェット噴水は有名です。
レマン湖に噴き上がる大噴水、ジュネーヴの旧市街、またジュネーヴ大学内には、フランスから招かれ、スイスの政治や教会の改革を指導したカルヴァン達の記念碑があります。
バーゼルはチューリッヒに続くスイス第二の都市です。
ドイツ、フランスと国境を接しており、スイスで一番大きな河川の港を持っています。
また色鮮やかなバーゼルの市庁舎が、とても印象的です。
紀元前から北イタリアと北ヨーロッパを結ぶ交通の要として発展して来ました。
その頃は、リンデンホフの丘に税関が置かれていました。
チューリッヒという名前は、その税関の名前「トゥ-リクム」から来ています。
チューリッヒの街を流れるリマト川は、チューリッヒから流れ出ています。
チューリッヒには国際空港の「クローテン空港」もあります。
ジュネーヴですが、街の周囲のほとんどをフランスに囲まれ、公用語もフランス語です。
西ヨーロッパ一の広さを持つレマン湖の、一番西のほとりにあります。
国際連合のヨーロッパ本部のほか、国際機関が多く、外国人の数は市民の3分の1にも上ります。
サン・ピエール寺院を中心とした旧市街は2000年の歴史を持ち、その街並みは何百年も前にタイムスリップしたようです。
悠大な自然に囲まれたジュネーヴの街はとても美しく、ジェット噴水は有名です。
レマン湖に噴き上がる大噴水、ジュネーヴの旧市街、またジュネーヴ大学内には、フランスから招かれ、スイスの政治や教会の改革を指導したカルヴァン達の記念碑があります。
バーゼルはチューリッヒに続くスイス第二の都市です。
ドイツ、フランスと国境を接しており、スイスで一番大きな河川の港を持っています。
また色鮮やかなバーゼルの市庁舎が、とても印象的です。
スイスの4大都市①
スイスの首都は、人口約12万のベルンです。
人口では約37万人のチューリッヒや、約16万人のバーゼル、約18万人のジュネーヴに続いて4番目の都市ですが、ベルンは政治の中心であり、交通の要にもなっています。
アーレ川に囲まれるように広がる旧市街は、今も中世の街並みが残り、世界遺産にも登録されています。
ベルンには色んな所に「クマの像」があります。
クマの絵もたくさんありますし、クマ公園もあります。
クマはベルンの象徴で、昔この州の最初の名前を付ける時に、一番最初に捕まえた動物の名前を街の名前にしようという事になったのです。そしてその動物がクマだったという話が伝わっています。ベルン州の旗にも、クマが描かれています。
川に囲まれたベルンの旧市街には、ベルンで一番古い建物の時計塔と、名物の噴水が至る所にあります。
人口では約37万人のチューリッヒや、約16万人のバーゼル、約18万人のジュネーヴに続いて4番目の都市ですが、ベルンは政治の中心であり、交通の要にもなっています。
アーレ川に囲まれるように広がる旧市街は、今も中世の街並みが残り、世界遺産にも登録されています。
ベルンには色んな所に「クマの像」があります。
クマの絵もたくさんありますし、クマ公園もあります。
クマはベルンの象徴で、昔この州の最初の名前を付ける時に、一番最初に捕まえた動物の名前を街の名前にしようという事になったのです。そしてその動物がクマだったという話が伝わっています。ベルン州の旗にも、クマが描かれています。
川に囲まれたベルンの旧市街には、ベルンで一番古い建物の時計塔と、名物の噴水が至る所にあります。
スイスの地理
私は昨年、スイスへ行きましたが、行きが11時間50分、帰りが11時間30分で、行きも帰りも約12時間でした。
スイスへは約12時間で着きます。
成田空港を朝出発して、約12時間飛行機に乗って、だから着いたのは夕方のはずなのに、スイスはまだ昼間でした。スイスは時差が、日本よりも8時間遅いのです。
※3月の最終日曜日から、10月の最終日曜日までは、サマータイムのため、時差は7時間になります。
スイスはヨーロッパの中心に位置する、人口は約795万人です。
九州と同じ位の大きさで、ドイツ、フランス、イタリア、オーストリア、リヒテンシュタインの5つの国に囲まれています。国土の約60%が山岳地帯で、4000m以上の険しい山も多いです。
また氷河や万年雪の面積を全て合わせると、雪に覆われた土地は山梨県の半分を超えます。
スイスは24の州(カントンと呼ばれます)から成り立っていて、そのうちの2つの州が、さらに2つの準州に分かれていて、それを含めると26の州になります。
州(カントン)はそれぞれ、小さな国家の役割を果たし、それらの小さな国が集まってスイスが構成されています。
スイスへは約12時間で着きます。
成田空港を朝出発して、約12時間飛行機に乗って、だから着いたのは夕方のはずなのに、スイスはまだ昼間でした。スイスは時差が、日本よりも8時間遅いのです。
※3月の最終日曜日から、10月の最終日曜日までは、サマータイムのため、時差は7時間になります。
スイスはヨーロッパの中心に位置する、人口は約795万人です。
九州と同じ位の大きさで、ドイツ、フランス、イタリア、オーストリア、リヒテンシュタインの5つの国に囲まれています。国土の約60%が山岳地帯で、4000m以上の険しい山も多いです。
また氷河や万年雪の面積を全て合わせると、雪に覆われた土地は山梨県の半分を超えます。
スイスは24の州(カントンと呼ばれます)から成り立っていて、そのうちの2つの州が、さらに2つの準州に分かれていて、それを含めると26の州になります。
州(カントン)はそれぞれ、小さな国家の役割を果たし、それらの小さな国が集まってスイスが構成されています。
スイス名物あれこれ
アルペンホルン
広い山地でも響く音色。
もともと放牧している牛や羊を呼び寄せたり、仲間で呼び合うための楽器です。
エーデルワイス
スイスの国花です。
歌にもなっているエーデルワイスは、アルプスに咲く花です。
チーズ
3000種類以上のチーズがあると言われています。
セントバーナード犬
昔はアルプスの山で遭難した人々を助けるために訓練されていました。
今ではヘリコプターなどで救助するので、訓練されている犬はあまりいません。
手編みのレース
スイスの女性は昔から、洋服の襟に付けるレースや、結婚式のベールなどを自分で編んで来ました。今は専門家が作って、お店で売られています。
花
花というのも変なのですが、あえて「スイスの名物」に入れてみました。
エーデルワイスはスイスの国花ですが、スイスにはたくさんの高山植物が咲きます。
私がスイスを旅行して思ったのは、どこへ行っても花が飾られていて、花のない場所はありませんでした。エーデルワイスや高山植物、自然の中に咲く花だけではなく、至る所に花があるという事は、これは「1つの文化なのではないか?」と思ったのです。
観光の国とはいえ、どこもかしこも花でいっぱいで感心しました。
街中の家々に花がいっぱいに咲いています。
美しい花たちは、スイス人の「誇り」なのかもしれません。
広い山地でも響く音色。
もともと放牧している牛や羊を呼び寄せたり、仲間で呼び合うための楽器です。
エーデルワイス
スイスの国花です。
歌にもなっているエーデルワイスは、アルプスに咲く花です。
チーズ
3000種類以上のチーズがあると言われています。
セントバーナード犬
昔はアルプスの山で遭難した人々を助けるために訓練されていました。
今ではヘリコプターなどで救助するので、訓練されている犬はあまりいません。
手編みのレース
スイスの女性は昔から、洋服の襟に付けるレースや、結婚式のベールなどを自分で編んで来ました。今は専門家が作って、お店で売られています。
花
花というのも変なのですが、あえて「スイスの名物」に入れてみました。
エーデルワイスはスイスの国花ですが、スイスにはたくさんの高山植物が咲きます。
私がスイスを旅行して思ったのは、どこへ行っても花が飾られていて、花のない場所はありませんでした。エーデルワイスや高山植物、自然の中に咲く花だけではなく、至る所に花があるという事は、これは「1つの文化なのではないか?」と思ったのです。
観光の国とはいえ、どこもかしこも花でいっぱいで感心しました。
街中の家々に花がいっぱいに咲いています。
美しい花たちは、スイス人の「誇り」なのかもしれません。
国全体が美術館②
スイスには、アルプスの山道を登る登山鉄道や氷河特急があり、列車の旅が楽しめます。
短い夏の季節になると、牛飼い達は、牛やヤギを連れて山に登ります。
冬の間、干し草ばかり食べている牛たちに、新鮮な草をたくさん与えるためです。
牛飼い達は3カ月の間、テレビも電話も無い山小屋で、チーズを作って過ごします。
スイスで最も有名な少女と言えば、「アルプスの少女ハイジ」です。
スイスの童話作家、ヨハンナ・シュピーリが書きました。
主人公のハイジは、幼い頃のシュピーリ本人がモデルになっています。
アルプスの山で、のびのびと育ったハイジの物語は、子供だけではなく大人の心も掴み、大ヒットしました。今でも世界中で読まれています。
国中が「美しい自然」であるスイスは、「国全体が美術館」のようです。
短い夏の季節になると、牛飼い達は、牛やヤギを連れて山に登ります。
冬の間、干し草ばかり食べている牛たちに、新鮮な草をたくさん与えるためです。
牛飼い達は3カ月の間、テレビも電話も無い山小屋で、チーズを作って過ごします。
スイスで最も有名な少女と言えば、「アルプスの少女ハイジ」です。
スイスの童話作家、ヨハンナ・シュピーリが書きました。
主人公のハイジは、幼い頃のシュピーリ本人がモデルになっています。
アルプスの山で、のびのびと育ったハイジの物語は、子供だけではなく大人の心も掴み、大ヒットしました。今でも世界中で読まれています。
国中が「美しい自然」であるスイスは、「国全体が美術館」のようです。
国全体が美術館①
スイスは、その美しさから「国全体が美術館」とも「世界の公園」とも言われています。
私も何度も旅行して、「どこへ行っても自然が綺麗で、豊かで、建物もお菓子のようにかわいらしくて、街も村もホテルも清潔で、おとぎの国というか、メルヘンというか、本当に夢の国だ」と思いました。
「国全体が美術館」「世界の公園」と言われているという事を聞いて、なるほど「国全体がおとぎの国」のようで、「国全体がメルヘンの世界」のようで、
私が「夢の国だ」と思ったのも、「確かにその通り」だったのだと思いました。
スイスを旅行した人は、「スイスはどこへ行ってもいい」と言います。
アルプスの山々と美しい街並みは、多くの観光局を呼び寄せます。
冬はスキーや登山、夏は花が一面に咲く草原を散策するハイキングが人気です。
スイスは国中が花であふれています。
どこもかしこも、花でいっぱいです。
山や森や野、丘、草原などの自然の中だけではなく、街や建物もそうです。
家の庭ばかりでなく、ベランダや窓辺にも花を植えて、街を飾り立てます。
お店にもホテルにも道にも、花壇があって花が植えてあって、街中が花で飾られています。
観光の国とはいえ、徹底していて、感心しました。
スイスにとって、「花は文化なのだ」と思いました。
アルプスの山々にも、花がたくさん咲きます。
草原に咲く花々、美しいお花畑、数え切れない位のたくさんの種類の高山植物。
1年の3分の2は、雪に覆われているので、3か月しかない短い夏に、花がいっせいに咲くのです。
私がラウターブルンネンの谷を散策している時に、現地の方から聞いたのですが、放牧の牛が花を食べてしまう時や、草刈りカマで草花を刈ってしまう時は、残念ながら花を見る事が出来ない時がありますとの事でした。
私も何度も旅行して、「どこへ行っても自然が綺麗で、豊かで、建物もお菓子のようにかわいらしくて、街も村もホテルも清潔で、おとぎの国というか、メルヘンというか、本当に夢の国だ」と思いました。
「国全体が美術館」「世界の公園」と言われているという事を聞いて、なるほど「国全体がおとぎの国」のようで、「国全体がメルヘンの世界」のようで、
私が「夢の国だ」と思ったのも、「確かにその通り」だったのだと思いました。
スイスを旅行した人は、「スイスはどこへ行ってもいい」と言います。
アルプスの山々と美しい街並みは、多くの観光局を呼び寄せます。
冬はスキーや登山、夏は花が一面に咲く草原を散策するハイキングが人気です。
スイスは国中が花であふれています。
どこもかしこも、花でいっぱいです。
山や森や野、丘、草原などの自然の中だけではなく、街や建物もそうです。
家の庭ばかりでなく、ベランダや窓辺にも花を植えて、街を飾り立てます。
お店にもホテルにも道にも、花壇があって花が植えてあって、街中が花で飾られています。
観光の国とはいえ、徹底していて、感心しました。
スイスにとって、「花は文化なのだ」と思いました。
アルプスの山々にも、花がたくさん咲きます。
草原に咲く花々、美しいお花畑、数え切れない位のたくさんの種類の高山植物。
1年の3分の2は、雪に覆われているので、3か月しかない短い夏に、花がいっせいに咲くのです。
私がラウターブルンネンの谷を散策している時に、現地の方から聞いたのですが、放牧の牛が花を食べてしまう時や、草刈りカマで草花を刈ってしまう時は、残念ながら花を見る事が出来ない時がありますとの事でした。
スイスとリヒテンシュタイン
リヒテンシュタインは、スイスとオーストリアの間にある人口3、6万人ほどの小さな国です。
当初、「リヒテンシュタイン家」は、中世からヨーロッパで強い勢力を誇ったハプスブルク家の臣下でしたが、与えられた土地のほかにも「一帯の土地」を買い、自治権を認められました。
今でも母国の何倍もの土地を、オーストリアに持っています。
リヒテンシュタイン家は、その後も独立を保ち、1866年に正式に国家として独立し、永世中立を宣言しました。
ですから元首は、お金持ちの貴族です。
さらに非武装中立を宣言し、第一次、第二次世界大戦の危機も乗り切りました。
かつて強い関係を持っていたオーストリアが、第一次世界大戦で敗北してからは、スイスとの関係を親密にしているようです。
外交と防衛はスイスに委託し、軍事力を持たず、100名ほどの警察官がいるだけです。
リヒテンシュタインも、スイスと同様、美しい国です。
首都ファドーツの美しい街ですが、リヒテンシュタインの南に位置するバルザースの街も、緑が豊かで、本当に美しいです。
旅行ガイドブックも、昔はスイスとオーストリアがセットで掲載されていましたが、リヒテンシュタインも一緒に掲載されていました。
スイスとオーストリアは今でも、旅行ガイドブックによっては一緒に掲載されているものもあるようですが、やはり今は昔のガイドブックと違い、ほとんどのガイドブックが、スイスとオーストリアは別々に販売されているようです。
ただリヒテンシュタインだけは、今も昔と変わらず、スイスの旅行ガイドブックと一緒に編集されているようです。
当初、「リヒテンシュタイン家」は、中世からヨーロッパで強い勢力を誇ったハプスブルク家の臣下でしたが、与えられた土地のほかにも「一帯の土地」を買い、自治権を認められました。
今でも母国の何倍もの土地を、オーストリアに持っています。
リヒテンシュタイン家は、その後も独立を保ち、1866年に正式に国家として独立し、永世中立を宣言しました。
ですから元首は、お金持ちの貴族です。
さらに非武装中立を宣言し、第一次、第二次世界大戦の危機も乗り切りました。
かつて強い関係を持っていたオーストリアが、第一次世界大戦で敗北してからは、スイスとの関係を親密にしているようです。
外交と防衛はスイスに委託し、軍事力を持たず、100名ほどの警察官がいるだけです。
リヒテンシュタインも、スイスと同様、美しい国です。
首都ファドーツの美しい街ですが、リヒテンシュタインの南に位置するバルザースの街も、緑が豊かで、本当に美しいです。
旅行ガイドブックも、昔はスイスとオーストリアがセットで掲載されていましたが、リヒテンシュタインも一緒に掲載されていました。
スイスとオーストリアは今でも、旅行ガイドブックによっては一緒に掲載されているものもあるようですが、やはり今は昔のガイドブックと違い、ほとんどのガイドブックが、スイスとオーストリアは別々に販売されているようです。
ただリヒテンシュタインだけは、今も昔と変わらず、スイスの旅行ガイドブックと一緒に編集されているようです。
アルプスと平和の国⑭
私がスイスという国に興味、関心を持つようになってから、約30年が経ちます。
30年前のスイスと、現在のスイスでは、観光客も増えて、だいぶ違うようです。
小さな国ですが、毎年たくさんの観光客が訪れ、たくさんの国際機関があり、不思議な国だと思います。
歴史的、文化的背景から、公用語がドイツ語、フランス語、イタリア語、ロマンシュ語と、4つの言語が使用されています。
観光客の数は、スイスの人口と同じ位の数が観光に来るという事ですから、それだけ魅力があるのだと思います。
観光業が経済の多くを占める「観光の国」ですが、やはり自然が美しいという事が大きいのかもしれません。
雪と氷河のアルプス、山の麓の牧草地や森、草原に咲き乱れる花々、放牧の牛や羊がカウベルを鳴らし、美しい湖や川、清潔な街や村、建築物、民族、古い歴史や伝統。
ハイキングやウィンタースポーツが盛んで、鉄道を始め交通機関も正確で、人気があるようです。
色とりどりの高山植物、温泉も数多くあるようです。
高山植物と言えば、スイスの国花、エーデルワイスは、とても美しい花です。
「アルプスの星」とも呼ばれ、和名は「ウスユキソウ」で、気品があって高貴な感じがします。
旧市街、修道院、地域であったり、ブドウ畑であったり、山であったり、世界遺産もあります。
スイス料理もとても美味しいです。
特産品も数多くあります。
スイスのチーズ、チョコレートはとても美味しいでしょう。
スイスワインも人気で、スイス国内では消費量が追い付かず、海外から輸入しているようです。
時計、刺繍、木工製品、アーミーナイフ、オルゴールなども人気が高いです。
ホテルもよく整備されていて、清潔で快適です。
スイスと言えば、アルプスの少女ハイジが有名です。
お話の舞台となったマイエンフェルトには、原作者のヨハンナ・シュピーリを記念して作られた、「ハイジの泉」があります。毎年8月12日は「ハイジの日」です。
私の知り合いで、スイスがとても好きで、ハイキングだったり、スキーだったり、春夏秋冬と、毎年、それも何度も行かれている方がいます。
2012年8月1日は、ユングフラウ鉄道全線開通100周年という記念すべき日です。
今年2014年は、日本とスイスが国交を樹立して、150年になる年です。
国交樹立150周年を記念して、様々なイベント、催し物が行われています。
また来年2015年は、マッターホルンの初登攀から150周年だそうです。
小さな国に宝石のような魅力が、たくさん詰まっているのかもしれません。
永世中立国スイスは、アルプスと平和の国です。
何度行っても、また行きたくなる、そんな魅力があるのだと思います。
30年前のスイスと、現在のスイスでは、観光客も増えて、だいぶ違うようです。
小さな国ですが、毎年たくさんの観光客が訪れ、たくさんの国際機関があり、不思議な国だと思います。
歴史的、文化的背景から、公用語がドイツ語、フランス語、イタリア語、ロマンシュ語と、4つの言語が使用されています。
観光客の数は、スイスの人口と同じ位の数が観光に来るという事ですから、それだけ魅力があるのだと思います。
観光業が経済の多くを占める「観光の国」ですが、やはり自然が美しいという事が大きいのかもしれません。
雪と氷河のアルプス、山の麓の牧草地や森、草原に咲き乱れる花々、放牧の牛や羊がカウベルを鳴らし、美しい湖や川、清潔な街や村、建築物、民族、古い歴史や伝統。
ハイキングやウィンタースポーツが盛んで、鉄道を始め交通機関も正確で、人気があるようです。
色とりどりの高山植物、温泉も数多くあるようです。
高山植物と言えば、スイスの国花、エーデルワイスは、とても美しい花です。
「アルプスの星」とも呼ばれ、和名は「ウスユキソウ」で、気品があって高貴な感じがします。
旧市街、修道院、地域であったり、ブドウ畑であったり、山であったり、世界遺産もあります。
スイス料理もとても美味しいです。
特産品も数多くあります。
スイスのチーズ、チョコレートはとても美味しいでしょう。
スイスワインも人気で、スイス国内では消費量が追い付かず、海外から輸入しているようです。
時計、刺繍、木工製品、アーミーナイフ、オルゴールなども人気が高いです。
ホテルもよく整備されていて、清潔で快適です。
スイスと言えば、アルプスの少女ハイジが有名です。
お話の舞台となったマイエンフェルトには、原作者のヨハンナ・シュピーリを記念して作られた、「ハイジの泉」があります。毎年8月12日は「ハイジの日」です。
私の知り合いで、スイスがとても好きで、ハイキングだったり、スキーだったり、春夏秋冬と、毎年、それも何度も行かれている方がいます。
2012年8月1日は、ユングフラウ鉄道全線開通100周年という記念すべき日です。
今年2014年は、日本とスイスが国交を樹立して、150年になる年です。
国交樹立150周年を記念して、様々なイベント、催し物が行われています。
また来年2015年は、マッターホルンの初登攀から150周年だそうです。
小さな国に宝石のような魅力が、たくさん詰まっているのかもしれません。
永世中立国スイスは、アルプスと平和の国です。
何度行っても、また行きたくなる、そんな魅力があるのだと思います。
アルプスと平和の国⑬
私はこれまでに何度もスイスを訪れ、あちこちのアルプスの村、アルプスのふもとの町を散策しました。
あちこちに滝が落ちるラウターブルンネン、標高4478メートルのスイス・アルプス、マッターホルンのある街、ツェルマット、全部は書き切れませんが、どの村、どの町を歩いても、眺めているだけでも飽きない位、美しいのです。
冬になると、スキーを楽しむ観光客、家族がたくさんやって来ます。
ラヴォ-地区のブドウ畑は、世界遺産に登録されています。
スイスは小さな国ですが、たくさんの魅力があります。
面積は、4.1万k㎡で、九州よりやや大きいです。
人口は、約791万人(2011年)です。
首都は、ベルンです。
民族は、主としてゲルマン民族です。
宗教は、カトリックが約41%で、プロテスタントが約35%です。
スイスの名前は、独立戦争に参加した3つの州のうち、シュヴィーツに由来します。
意味は「乳しぼり(搾乳者)」という説が有力です。
国旗は、赤い色に白い十字架で、赤は力と主権を、白い十字架は、キリスト教とその精神を表します。正方形が正しい形です。
注目したいのが、スイスには「4つの公用語がある」という事です。
スイスでは、ドイツ語、フランス語、イタリア語、ロマンシュ語(レート・ロマンシュ語)という4つの公用語があります。地域によって言語が分かれています。
ふだん使う言語のほか、英語とさらに、もう1つの言語を話せる人も多くいます。
スイス人は、3ヶ国語、4ヶ国語を、当たり前のように話せる人が多いようなのです。
すごい事だと思います。
私はいつも、英語とかたことのドイツ語ですが、観光には支障はないようです。
5世紀から9世紀に、ヨーロッパに存在したフランク王国が、3つに分裂した時、スイスはちょうど、その中間地域にあった事から、言語も幾つかに分かれるようになったのです。
(スイスの言語分布)
フランス語(19%)
ドイツ語(アレマン語:スイス・ドイツ語と言われる方言 64%)
イタリア語(8%)
ロマンシュ語ほか(9%)
スイスの言語教育は、他の言語に関しては分からないのですが、ドイツ語に関しては、子供達はスイス・ドイツ語(もしくはスイス・ジャーマン)と言われるドイツ語で育ち、学校へ行くと標準ドイツ語を学ぶという形になっているようです。
あちこちに滝が落ちるラウターブルンネン、標高4478メートルのスイス・アルプス、マッターホルンのある街、ツェルマット、全部は書き切れませんが、どの村、どの町を歩いても、眺めているだけでも飽きない位、美しいのです。
冬になると、スキーを楽しむ観光客、家族がたくさんやって来ます。
ラヴォ-地区のブドウ畑は、世界遺産に登録されています。
スイスは小さな国ですが、たくさんの魅力があります。
面積は、4.1万k㎡で、九州よりやや大きいです。
人口は、約791万人(2011年)です。
首都は、ベルンです。
民族は、主としてゲルマン民族です。
宗教は、カトリックが約41%で、プロテスタントが約35%です。
スイスの名前は、独立戦争に参加した3つの州のうち、シュヴィーツに由来します。
意味は「乳しぼり(搾乳者)」という説が有力です。
国旗は、赤い色に白い十字架で、赤は力と主権を、白い十字架は、キリスト教とその精神を表します。正方形が正しい形です。
注目したいのが、スイスには「4つの公用語がある」という事です。
スイスでは、ドイツ語、フランス語、イタリア語、ロマンシュ語(レート・ロマンシュ語)という4つの公用語があります。地域によって言語が分かれています。
ふだん使う言語のほか、英語とさらに、もう1つの言語を話せる人も多くいます。
スイス人は、3ヶ国語、4ヶ国語を、当たり前のように話せる人が多いようなのです。
すごい事だと思います。
私はいつも、英語とかたことのドイツ語ですが、観光には支障はないようです。
5世紀から9世紀に、ヨーロッパに存在したフランク王国が、3つに分裂した時、スイスはちょうど、その中間地域にあった事から、言語も幾つかに分かれるようになったのです。
(スイスの言語分布)
フランス語(19%)
ドイツ語(アレマン語:スイス・ドイツ語と言われる方言 64%)
イタリア語(8%)
ロマンシュ語ほか(9%)
スイスの言語教育は、他の言語に関しては分からないのですが、ドイツ語に関しては、子供達はスイス・ドイツ語(もしくはスイス・ジャーマン)と言われるドイツ語で育ち、学校へ行くと標準ドイツ語を学ぶという形になっているようです。
アルプスと平和の国⑫ スイス建国の地(5) 四森州湖畔
四森州湖を囲むようにして、シュヴィーツ州、ウーリ州、ウンターヴァルデン州、ルツェルン州と、4つの州がありますが、スイス建国の基となったのはシュヴィーツ州、ウーリ州、ウンターヴァルデン州の3つの州ですが、ルツェルン州も歴史を見ると、少なからず建国に関係があったようです。
ルツェルンという地名の語源や意味は分からないのですが、建国の基になったシュヴィーツ州、ウーリ州、ウンターヴァルデン州と共に、13世紀からは交通の要として栄え、18世紀には「スイスの首都」でもあったそうです。
当時は人口も「スイス一」だったそうです。
高級リゾート街ではなく、あらゆる層の旅行者がいる親しみやすい観光地だと聞きました。
私はルツェルンを訪れた時、
「どうしてこんなに外国に来たという感じがしないんだろう?」
「どうしてこんなに懐かしい気持ちになるんだろう?」
「他の街と違って、どうしてこんなに気持ちが落ち着くんだろう?」
と思っていたのですが、それを聞いて理由が分かりました。
中世の面影が残る街であり、色んな層の人がいる親しみやすい街だったのですね。
ワグナーもニーチェも、トルストイもマーク・トゥエインも、みんなこの街を散策したのだそうです。
ロイス川に掛かる屋根の付いたカぺル橋とシュプロイヤー橋は有名で、特にカぺル橋は、街のシンボルであり、橋の途中に灯台を兼ねた「見張りのための塔」があり、「水の塔」と言うようです。
個人的には、実際に観光に行った時に、目の前で見ましたが、毎回旅行ガイドブックや写真集で見ても、とてもかわいらしい建物だと思います。
カぺル橋の屋根には、ルツェルンの守護聖人の生涯を描いた絵が、100枚ほどあります。
これはカぺル橋を渡った時に見ました。
シュプロイヤー橋にも、カぺル橋と同じで、橋の屋根に絵が描かれています。
橋の中ほどには、小さな礼拝堂があります。
カぺル橋は1993年に火災に遭い、一部を残してかなりの部分が焼失したそうですが、翌年には、焼失部分が忠実に復元されたそうです。
永世中立国スイス発祥の地域でもあり、美しい湖とアルプスに囲まれ、中世の面影を残す旧市街には、歴史のある噴水や美しいフレスコ画が描かれた建物が点在します。
美術館や博物館も多く、冬には謝肉祭、夏には国際音楽祭が開かれているようです。
首都ベルンもそうだったのですが、川の色が緑色に見えるのは、周りが緑に囲まれているためでしょうか?
川や湖には美しい白鳥が泳いでおり、レストラン付きの湖上遊覧船が頻繁に出ています。
私はルツェルンを訪れた時に、川と湖のほとりを散策し、川のほとりに座り、しばらくの間、くつろいでいました。
外国に来たとは思えず、とても気持ちが落ち着き、いるだけでホッとした事を覚えています。
初めて来た場所なのに、とても懐かしい感じがしたのです。
湖は人の心を癒すのでしょうか?
水があると、人は安心するのでしょうか?
湖畔の街、湖畔の観光地であるという事、それも私が懐かしさを感じた理由なのかもしれません。
ルツェルンという地名の語源や意味は分からないのですが、建国の基になったシュヴィーツ州、ウーリ州、ウンターヴァルデン州と共に、13世紀からは交通の要として栄え、18世紀には「スイスの首都」でもあったそうです。
当時は人口も「スイス一」だったそうです。
高級リゾート街ではなく、あらゆる層の旅行者がいる親しみやすい観光地だと聞きました。
私はルツェルンを訪れた時、
「どうしてこんなに外国に来たという感じがしないんだろう?」
「どうしてこんなに懐かしい気持ちになるんだろう?」
「他の街と違って、どうしてこんなに気持ちが落ち着くんだろう?」
と思っていたのですが、それを聞いて理由が分かりました。
中世の面影が残る街であり、色んな層の人がいる親しみやすい街だったのですね。
ワグナーもニーチェも、トルストイもマーク・トゥエインも、みんなこの街を散策したのだそうです。
ロイス川に掛かる屋根の付いたカぺル橋とシュプロイヤー橋は有名で、特にカぺル橋は、街のシンボルであり、橋の途中に灯台を兼ねた「見張りのための塔」があり、「水の塔」と言うようです。
個人的には、実際に観光に行った時に、目の前で見ましたが、毎回旅行ガイドブックや写真集で見ても、とてもかわいらしい建物だと思います。
カぺル橋の屋根には、ルツェルンの守護聖人の生涯を描いた絵が、100枚ほどあります。
これはカぺル橋を渡った時に見ました。
シュプロイヤー橋にも、カぺル橋と同じで、橋の屋根に絵が描かれています。
橋の中ほどには、小さな礼拝堂があります。
カぺル橋は1993年に火災に遭い、一部を残してかなりの部分が焼失したそうですが、翌年には、焼失部分が忠実に復元されたそうです。
永世中立国スイス発祥の地域でもあり、美しい湖とアルプスに囲まれ、中世の面影を残す旧市街には、歴史のある噴水や美しいフレスコ画が描かれた建物が点在します。
美術館や博物館も多く、冬には謝肉祭、夏には国際音楽祭が開かれているようです。
首都ベルンもそうだったのですが、川の色が緑色に見えるのは、周りが緑に囲まれているためでしょうか?
川や湖には美しい白鳥が泳いでおり、レストラン付きの湖上遊覧船が頻繁に出ています。
私はルツェルンを訪れた時に、川と湖のほとりを散策し、川のほとりに座り、しばらくの間、くつろいでいました。
外国に来たとは思えず、とても気持ちが落ち着き、いるだけでホッとした事を覚えています。
初めて来た場所なのに、とても懐かしい感じがしたのです。
湖は人の心を癒すのでしょうか?
水があると、人は安心するのでしょうか?
湖畔の街、湖畔の観光地であるという事、それも私が懐かしさを感じた理由なのかもしれません。
アルプスと平和の国⑪ スイス建国の地(4) 四森州湖畔
ドイツ語で「4つの森の湖」と呼ばれる四森州湖の一帯は、「スイス建国の地」であり、建国にちなむ伝説の英雄ウィリアム・テルの舞台です。
「スイス建国の地」を自分なりにまとめてみました。
1.フィッツナウ(スイスの真ん中・中心)
ルツェルンから湖船で約1時間です。
リギ山へ上る登山鉄道が行き来するフィッツナウの街の斜め上の崖に「スイスの国旗」が描かれています。ここが地理的に「スイスのド真ん中」に当たります。
2.リュットリの野(スイス建国の地)
フィッツナウから湖船で約1時間です。
船着き場から階段状の道を10分ほど上がった所に、小さな野原と国旗がありますが、そこが「スイス建国の地」であるリュットリの野です。
1291年8月1日、シュヴィーツ、ウーリ、ウンターヴァルデンの3つの州が、ハプスブルク家の支配からの独立を目指して、「リュットリの盟約」を結び、それが現在の「スイス連邦の源」となりました。
3.テルスプラッテ(ウィリアム・テルが飛び移った大岩)
リュットリから湖船で約18分です。
「ウィリアム・テル物語」に登場する場所です。
船着き場の横に、「悪代官ゲスラーに捕えられたテルが護送船から飛び移って脱出した」とされる大岩があり、内壁にテルの絵を描いた「テル礼拝堂」が建っています。
4.アルトドルフ(ウィリアム・テル物語の舞台)
テルスプラッテから湖船で約15分のフリューエレンで、湖船から郵便バスに乗り換えて約10分です。
バスを降りた所がアルトドルフの市庁舎広場で、テル親子の銅像が立っています。
「ウィリアム・テル物語」の有名なシーン、息子の頭に乗せたリンゴを、テルが矢で射抜く場面の舞台です。
広場を背に左へ行き、歩行者天国を進むと「テル劇場」で、その中に観光局が入っています。
5.ビュウルグレン(ウィリアム・テルが住んでいた村)
アルトドルフの市庁舎広場の前にあるバス停から、郵便バスで約5分です。
テルが住んでいたとされる小さな村で、郵便局の隣に「テル博物館」があり、テルにゆかりのある品々や各国の絵本を展示しています。
6.シュヴィーツ(国名の基となった街)
ビュウルグレンから郵便バスでフリューグレンへ行き、急行に乗り換えて約15分です。
駅から街の中心部までは、バスで約10分です。
国の基となった3つの州のうちの1つ、シュヴィーツ州の州都で、この国の名が国名の基になりました。「連邦古文書博物館」があり、「リュットリの盟約」の誓約書を保管し、公開しています。
シュヴィーツからルツェルンへは、急行で約45分です。
「スイス建国の地」を自分なりにまとめてみました。
1.フィッツナウ(スイスの真ん中・中心)
ルツェルンから湖船で約1時間です。
リギ山へ上る登山鉄道が行き来するフィッツナウの街の斜め上の崖に「スイスの国旗」が描かれています。ここが地理的に「スイスのド真ん中」に当たります。
2.リュットリの野(スイス建国の地)
フィッツナウから湖船で約1時間です。
船着き場から階段状の道を10分ほど上がった所に、小さな野原と国旗がありますが、そこが「スイス建国の地」であるリュットリの野です。
1291年8月1日、シュヴィーツ、ウーリ、ウンターヴァルデンの3つの州が、ハプスブルク家の支配からの独立を目指して、「リュットリの盟約」を結び、それが現在の「スイス連邦の源」となりました。
3.テルスプラッテ(ウィリアム・テルが飛び移った大岩)
リュットリから湖船で約18分です。
「ウィリアム・テル物語」に登場する場所です。
船着き場の横に、「悪代官ゲスラーに捕えられたテルが護送船から飛び移って脱出した」とされる大岩があり、内壁にテルの絵を描いた「テル礼拝堂」が建っています。
4.アルトドルフ(ウィリアム・テル物語の舞台)
テルスプラッテから湖船で約15分のフリューエレンで、湖船から郵便バスに乗り換えて約10分です。
バスを降りた所がアルトドルフの市庁舎広場で、テル親子の銅像が立っています。
「ウィリアム・テル物語」の有名なシーン、息子の頭に乗せたリンゴを、テルが矢で射抜く場面の舞台です。
広場を背に左へ行き、歩行者天国を進むと「テル劇場」で、その中に観光局が入っています。
5.ビュウルグレン(ウィリアム・テルが住んでいた村)
アルトドルフの市庁舎広場の前にあるバス停から、郵便バスで約5分です。
テルが住んでいたとされる小さな村で、郵便局の隣に「テル博物館」があり、テルにゆかりのある品々や各国の絵本を展示しています。
6.シュヴィーツ(国名の基となった街)
ビュウルグレンから郵便バスでフリューグレンへ行き、急行に乗り換えて約15分です。
駅から街の中心部までは、バスで約10分です。
国の基となった3つの州のうちの1つ、シュヴィーツ州の州都で、この国の名が国名の基になりました。「連邦古文書博物館」があり、「リュットリの盟約」の誓約書を保管し、公開しています。
シュヴィーツからルツェルンへは、急行で約45分です。
アルプスと平和の国⑩ スイス建国の地(3) 古都ルツェルン
13世紀に、ヨーロッパの南北を結ぶゴッダルド街道が開通すると、ルツェルンは交通の要として繁栄します。
街のシンボルであるカぺル橋から旧市街にかけての辺りには、中世の頃からの変わらない街並みが残ります。
周辺にピラトゥス山やリギ山といったアルプスのパノラマを楽しめる山々があった事から、18世紀になるとルツェルンは、アルプスの展望地として賑わうようになります。
中世の面影を残す美しい街並み、豊かな水をたたえる四森州湖、周囲の山々・・
詩人のバイロンや作家のマーク・トゥエインが賛美したように、ルツェルンはスイスでも有数の美しい街です。
四森州湖を囲むようにリギ山、ピラトゥス山、ティトリス山と、3つの山が立っています。
私は観光でルツェルンを訪れた時に、ルツェルン市街は散策したのですが、四森州湖と、リギ山、ピラトゥス山、ティトリス山は行った事がありません。
ですので、当然今度スイスに行く時は、行きたいと思っているのですが、旅行ガイドブックの受け売りですが、ピラトゥス山とリギ山は、どちらもアルプスの山々を望める展望台としては、古くから人気のある山なのですが、
ゴツゴツと切り立った岩肌が男性的なピラティス山と、緑の野が広がる女性的なリギ山では、違った魅力があるとの事で、
山が険しく迫力があるピラトゥス山は展望を楽しみたい人向きで、なだらかなリギ山はハイキングを楽しみたい人向きとの事です。
街のシンボルであるカぺル橋から旧市街にかけての辺りには、中世の頃からの変わらない街並みが残ります。
周辺にピラトゥス山やリギ山といったアルプスのパノラマを楽しめる山々があった事から、18世紀になるとルツェルンは、アルプスの展望地として賑わうようになります。
中世の面影を残す美しい街並み、豊かな水をたたえる四森州湖、周囲の山々・・
詩人のバイロンや作家のマーク・トゥエインが賛美したように、ルツェルンはスイスでも有数の美しい街です。
四森州湖を囲むようにリギ山、ピラトゥス山、ティトリス山と、3つの山が立っています。
私は観光でルツェルンを訪れた時に、ルツェルン市街は散策したのですが、四森州湖と、リギ山、ピラトゥス山、ティトリス山は行った事がありません。
ですので、当然今度スイスに行く時は、行きたいと思っているのですが、旅行ガイドブックの受け売りですが、ピラトゥス山とリギ山は、どちらもアルプスの山々を望める展望台としては、古くから人気のある山なのですが、
ゴツゴツと切り立った岩肌が男性的なピラティス山と、緑の野が広がる女性的なリギ山では、違った魅力があるとの事で、
山が険しく迫力があるピラトゥス山は展望を楽しみたい人向きで、なだらかなリギ山はハイキングを楽しみたい人向きとの事です。
アルプスと平和の国⑨ スイス建国の地(2) 古都ルツェルン
スイスの中央部と言えばいいのか、中央スイスは、四森州湖(ドイツ語で4つの森の州の湖)、または観光客向けに分かりやすくルツェルン湖、
その周りのルツェルン州、シュヴィーツ州、ウーリ州、ウンターヴァルデン州は、スイス建国の地であり、ウィリアム・テル伝説の舞台です。
それだけに、この地方はスイス人にとって特別な意味を持っていて、「スイス人の心の故郷(ふるさと)」と、形容されているようです。
4つの州の中で一番面積が広いのがルツェルン州です。
スイス連邦の起源となった3つの州に続き、スイス連邦の4番目の州となったのが1332年で、地理的にもスイスの心臓部に位置し、山々と湖に抱かれた美しい風景は、まさに「スイスの中のスイス」といった感じがします。
ルツェルン州の中心となるのは、四森州湖の北西端に位置する古都ルツェルンです。
空港のあるチューリッヒから、列車でも車でも約1時間と交通の便が良いので、観光に来る人はそのまま、ルツェルンに来る人が多いかもしれません。
私は一度、もうずっと昔ですが、ルツェルンを観光に訪れた時に、チューリッヒ空港からそのまま真っすぐに、ルツェルンに来ました。
市内にホテルを取り、全部は見れませんでしたが、駅前、旧市街、ライオン記念碑、氷河公園、ロイス川のほとり、カぺル橋、シュプロイヤー橋などを散策しました。
私はカぺル橋のすぐ近くの旧市街よりの、ロイス川のほとりのレストランで、食事をしました。
日本と反対で、メインが魚で副食にご飯が付いていました。
ご飯は日本のものと違い、ふっくらというより、細長くパサパサでしたが、それでもとても美味しかった事を覚えています。
ルツェルンを訪れた時に感じたのは、外国に来たという感じがあまりしなかった事です。
カぺル橋のすぐ近くのロイス川のほとりに座って、くつろいでいました。
ロイス川を白鳥が泳いでいました。
川に手を入れると、とても冷たくて気持ち良かったです。
ルツェルンは古い街ですから、そう感じたのかもしれませんが、他にも古い街はたくさんあるのに、ルツェルンだけは、安心出来るというか、落ち着くというか、懐かしいという感じすらありました。
やっぱり中世の面影が残った街ですから、現代とは違って、時間の流れが遅く、心が落ち着くのかもしれません。
その周りのルツェルン州、シュヴィーツ州、ウーリ州、ウンターヴァルデン州は、スイス建国の地であり、ウィリアム・テル伝説の舞台です。
それだけに、この地方はスイス人にとって特別な意味を持っていて、「スイス人の心の故郷(ふるさと)」と、形容されているようです。
4つの州の中で一番面積が広いのがルツェルン州です。
スイス連邦の起源となった3つの州に続き、スイス連邦の4番目の州となったのが1332年で、地理的にもスイスの心臓部に位置し、山々と湖に抱かれた美しい風景は、まさに「スイスの中のスイス」といった感じがします。
ルツェルン州の中心となるのは、四森州湖の北西端に位置する古都ルツェルンです。
空港のあるチューリッヒから、列車でも車でも約1時間と交通の便が良いので、観光に来る人はそのまま、ルツェルンに来る人が多いかもしれません。
私は一度、もうずっと昔ですが、ルツェルンを観光に訪れた時に、チューリッヒ空港からそのまま真っすぐに、ルツェルンに来ました。
市内にホテルを取り、全部は見れませんでしたが、駅前、旧市街、ライオン記念碑、氷河公園、ロイス川のほとり、カぺル橋、シュプロイヤー橋などを散策しました。
私はカぺル橋のすぐ近くの旧市街よりの、ロイス川のほとりのレストランで、食事をしました。
日本と反対で、メインが魚で副食にご飯が付いていました。
ご飯は日本のものと違い、ふっくらというより、細長くパサパサでしたが、それでもとても美味しかった事を覚えています。
ルツェルンを訪れた時に感じたのは、外国に来たという感じがあまりしなかった事です。
カぺル橋のすぐ近くのロイス川のほとりに座って、くつろいでいました。
ロイス川を白鳥が泳いでいました。
川に手を入れると、とても冷たくて気持ち良かったです。
ルツェルンは古い街ですから、そう感じたのかもしれませんが、他にも古い街はたくさんあるのに、ルツェルンだけは、安心出来るというか、落ち着くというか、懐かしいという感じすらありました。
やっぱり中世の面影が残った街ですから、現代とは違って、時間の流れが遅く、心が落ち着くのかもしれません。
アルプスと平和の国⑧ スイス建国の地(1)
伝説の英雄ウィリアム・テルの銅像があるアルトドルフは、ウーリ州ですが、ウーリ州、シュヴィーツ州、ウンターヴァルデン州の、この3つの州は、「ヴァルトシュテッター(森の州)」と呼ばれ、スイス建国の母体となった州です。
この3つの州のよって、スイス建国の誓約がなされたのは、1291年8月1日の事です。
誓約が行われた「リュットリの野」は、スイス発祥の地と呼ばれています。
それまで神聖ローマ帝国の領地であり、ハプスブルク家が代官を置く事によって、統治されていた3つの州は、ハプスブルク家に対して独立の抗争を挑みました。
その独立を巡る物語が、ウィリアム・テルの伝説です。
テルはウーリ州の代表者とされているのですが、実在の人物だったかどうかは分かりません。
ですが、スイス人にとっては「建国の父」であり、英雄である事に変わりはありません。
3つの州の見どころは、やはり建国の歴史や伝説にまつわる史跡のある街、史跡巡りという事になります。
まず、スイスという国名の由来にもなりましたが、シュヴィーツ州のシュヴィーツという街です。
そして、ウィリアム・テルゆかりの街として、一番有名なのが、ウーリ州のアルトドルフです。
ウィリアム・テルの物語で「息子の頭の上に乗せたリンゴを弓で射抜く場面」がありますが、その舞台となったのが、この街の市庁舎です。
この3つの州のよって、スイス建国の誓約がなされたのは、1291年8月1日の事です。
誓約が行われた「リュットリの野」は、スイス発祥の地と呼ばれています。
それまで神聖ローマ帝国の領地であり、ハプスブルク家が代官を置く事によって、統治されていた3つの州は、ハプスブルク家に対して独立の抗争を挑みました。
その独立を巡る物語が、ウィリアム・テルの伝説です。
テルはウーリ州の代表者とされているのですが、実在の人物だったかどうかは分かりません。
ですが、スイス人にとっては「建国の父」であり、英雄である事に変わりはありません。
3つの州の見どころは、やはり建国の歴史や伝説にまつわる史跡のある街、史跡巡りという事になります。
まず、スイスという国名の由来にもなりましたが、シュヴィーツ州のシュヴィーツという街です。
そして、ウィリアム・テルゆかりの街として、一番有名なのが、ウーリ州のアルトドルフです。
ウィリアム・テルの物語で「息子の頭の上に乗せたリンゴを弓で射抜く場面」がありますが、その舞台となったのが、この街の市庁舎です。
アルプスと平和の国⑦ スイス建国の父ウィリアム・テル(2)
ウィリアム・テルの野外劇場があるインターラーケンは、ベルン州ですが、ウーリ州にはアルトドルフがあります。
そしてこのアルトドルフにも、「ウィリアム・テルの劇場」があります。
アルトドルフの市庁舎広場には、テル親子の銅像が立っています。
アルトドルフは、「ウィリアム・テルの物語」の有名なシーンで、息子の頭に載せたリンゴを、テルが矢で射抜く場面の舞台です。
マルクト広場で起きた出来事とされていて、1895年に、この精巧なブロンズ像が立てられました。
銅像には、1307年とあるのですが、これは何の日なのでしょうか?
市庁舎広場を背に左へ行き、歩行者天国の通りを進むと、「ウィリアム・テル劇場」があります。
その中には、観光局も入っています。
1899年に、フリードリヒ・フォン・シラーの演劇「ウィリアム・テル」を上演するために、市の中心部の近くに、この劇場が開館しました。
そしてこのアルトドルフにも、「ウィリアム・テルの劇場」があります。
アルトドルフの市庁舎広場には、テル親子の銅像が立っています。
アルトドルフは、「ウィリアム・テルの物語」の有名なシーンで、息子の頭に載せたリンゴを、テルが矢で射抜く場面の舞台です。
マルクト広場で起きた出来事とされていて、1895年に、この精巧なブロンズ像が立てられました。
銅像には、1307年とあるのですが、これは何の日なのでしょうか?
市庁舎広場を背に左へ行き、歩行者天国の通りを進むと、「ウィリアム・テル劇場」があります。
その中には、観光局も入っています。
1899年に、フリードリヒ・フォン・シラーの演劇「ウィリアム・テル」を上演するために、市の中心部の近くに、この劇場が開館しました。
アルプスと平和の国⑥ スイス建国の父ウィリアム・テル(1)
スイス建国と言えば、スイス建国の父と呼ばれるウィリアム・テルが有名です。
ユングフラウ地方にあるインターラーケンには、「ウィリアム・テル野外劇場」があるようです。
インターラーケンには何度も行った事があるのですが、この劇場には行った事がありません。
ウェスト駅の駅前通りから、セントラル通り、ユングフラウ通り、ハウプト通りと進むと、劇場があるようです。
森を舞台に木造小屋と広場があり、毎年「ウィリアム・テルの物語」がお芝居で上演されているようです。
出演者は約200人ほどで、出演者は全員、地元の住民だそうです。
1912年から受け継がれて来た伝統のあるお芝居という事です。
日本語のプログラムもあるという事なので、今度インターラーケンに行った時は、ぜひ見学したいと思います。
「ハウプト通り」という事なのですが、グリンデルワルトの駅前にも、ハウプト通りがあります。
インターラーケンの「ハウプト通り」と、グリンデルワルトの「ハウプト通り」と、同じ通りなのでしょうか?
スイスがハプスブルク家に支配されていた頃、自分の帽子に頭を下げなかったテルに怒ったハプスブルク家の役人が、テルの小さな息子の頭に載せたリンゴに、自分で矢を放つ罰を与えました。
テルは見事にリンゴを射ち落としたと言い、建国の英雄とされているのですが、実在は証明されていません。
ユングフラウ地方にあるインターラーケンには、「ウィリアム・テル野外劇場」があるようです。
インターラーケンには何度も行った事があるのですが、この劇場には行った事がありません。
ウェスト駅の駅前通りから、セントラル通り、ユングフラウ通り、ハウプト通りと進むと、劇場があるようです。
森を舞台に木造小屋と広場があり、毎年「ウィリアム・テルの物語」がお芝居で上演されているようです。
出演者は約200人ほどで、出演者は全員、地元の住民だそうです。
1912年から受け継がれて来た伝統のあるお芝居という事です。
日本語のプログラムもあるという事なので、今度インターラーケンに行った時は、ぜひ見学したいと思います。
「ハウプト通り」という事なのですが、グリンデルワルトの駅前にも、ハウプト通りがあります。
インターラーケンの「ハウプト通り」と、グリンデルワルトの「ハウプト通り」と、同じ通りなのでしょうか?
スイスがハプスブルク家に支配されていた頃、自分の帽子に頭を下げなかったテルに怒ったハプスブルク家の役人が、テルの小さな息子の頭に載せたリンゴに、自分で矢を放つ罰を与えました。
テルは見事にリンゴを射ち落としたと言い、建国の英雄とされているのですが、実在は証明されていません。
アルプスと平和の国⑤ 国際機関による抑止力
スイスは永世中立国ですから、全国民が兵士と言えるでしょう。
スイスは伝統的な永世中立国で、どの国の味方もしない代わりに、戦争時には自国のみで戦わなければなりません。
このために、防備が固く、ヨーロッパ屈指の重武装国家でもあります。
常備軍はないのですが、国民皆兵制で20~30歳の男子には兵役義務があり、退役後も予備役か民兵に所属するシステムです。
非常時には、48時間以内に、22万人の動員が可能とされています。
また国際機関の本部が集まっており、がっちりとスイスをガードしています。
国際都市ジュネーヴには、世界保健機構(WHO)の本部があります。
中立国という理由、立場から、国連、赤十字委員会、国際オリンピック委員会、国際サッカー連盟など、多くの国際機関の本部が集まります。
国際機関の誘致は、他国の攻撃から、スイスを守る防壁であり、抑止力となっています。
国際都市ジュネーヴと言えば、国際都市という位ですから、聞いた話によると、今では住民の約40%が外国人という事です。
またジュネーヴは、大きな噴水「ジェット噴水」が有名ですが、街のシンボルとなっています。
1891年、スイス建国600年記念に造られた大噴水で、約140mの高さまで、一直線に水を噴き上げています。
スイスは伝統的な永世中立国で、どの国の味方もしない代わりに、戦争時には自国のみで戦わなければなりません。
このために、防備が固く、ヨーロッパ屈指の重武装国家でもあります。
常備軍はないのですが、国民皆兵制で20~30歳の男子には兵役義務があり、退役後も予備役か民兵に所属するシステムです。
非常時には、48時間以内に、22万人の動員が可能とされています。
また国際機関の本部が集まっており、がっちりとスイスをガードしています。
国際都市ジュネーヴには、世界保健機構(WHO)の本部があります。
中立国という理由、立場から、国連、赤十字委員会、国際オリンピック委員会、国際サッカー連盟など、多くの国際機関の本部が集まります。
国際機関の誘致は、他国の攻撃から、スイスを守る防壁であり、抑止力となっています。
国際都市ジュネーヴと言えば、国際都市という位ですから、聞いた話によると、今では住民の約40%が外国人という事です。
またジュネーヴは、大きな噴水「ジェット噴水」が有名ですが、街のシンボルとなっています。
1891年、スイス建国600年記念に造られた大噴水で、約140mの高さまで、一直線に水を噴き上げています。
アルプスと平和の国④ 武装中立の国
スイスは、20歳以上の男性には徴兵制度があります。
20歳の時に15週間の訓練を受け、その後36歳まで数年ごとに、十数日間の講習を受けて、通算で260日間の兵役につく事になっています。
核シェルターは、少し前まで新築や改築の際に義務付けられていた事もあり、普及率が100%に近いと言います。
20歳で訓練を終えた人は、銃を自宅に保管しています。
ただし現在、弾丸は軍で管理しています。
スイスは「非武装中立」ではなく、軍事力を持つ事によって、独立と自由を守ろうとしているのです。
また「永世中立」とは、自らは戦争を仕掛けず、参戦もしない事を宣言したものですが、一方的な宣言ではなく、中立条約を結んでいる他国によって、中立と独立を保障されています。
ある国がスイスに攻め込んで来たら、中立を保証した国は、スイスのために協力して排除する義務を負うのです。
20歳の時に15週間の訓練を受け、その後36歳まで数年ごとに、十数日間の講習を受けて、通算で260日間の兵役につく事になっています。
核シェルターは、少し前まで新築や改築の際に義務付けられていた事もあり、普及率が100%に近いと言います。
20歳で訓練を終えた人は、銃を自宅に保管しています。
ただし現在、弾丸は軍で管理しています。
スイスは「非武装中立」ではなく、軍事力を持つ事によって、独立と自由を守ろうとしているのです。
また「永世中立」とは、自らは戦争を仕掛けず、参戦もしない事を宣言したものですが、一方的な宣言ではなく、中立条約を結んでいる他国によって、中立と独立を保障されています。
ある国がスイスに攻め込んで来たら、中立を保証した国は、スイスのために協力して排除する義務を負うのです。
アルプスと平和の国③ 永世中立国スイスの歴史
スイスは、もともと小さな州(カントン)を政治単位にしています。
そのうちのウリ、シュヴィッツ、ウンターヴァルテンの3つの州が連合し、ヨーロッパの名門王家だったハプスブルク家に戦争をしかけた事から、独立戦争が始まりました。
そして15世紀末に独立し、1648年に国際的に承認され、1815年のウィ-ン会議で永世中立が認められました。
スイスは、第一次世界大戦後に出来た国際連盟に加盟しましたが、中立を掲げながら多くの国際問題に対応する事は難しく、第二次世界大戦後、新しく出来た国際連合には、すぐには加盟しませんでした。
2002年に国際連合に加盟したものの、EU(欧州連合)やNATO(北大西洋条約機構)には加盟せず、通貨のユーロも導入していません。
そのうちのウリ、シュヴィッツ、ウンターヴァルテンの3つの州が連合し、ヨーロッパの名門王家だったハプスブルク家に戦争をしかけた事から、独立戦争が始まりました。
そして15世紀末に独立し、1648年に国際的に承認され、1815年のウィ-ン会議で永世中立が認められました。
スイスは、第一次世界大戦後に出来た国際連盟に加盟しましたが、中立を掲げながら多くの国際問題に対応する事は難しく、第二次世界大戦後、新しく出来た国際連合には、すぐには加盟しませんでした。
2002年に国際連合に加盟したものの、EU(欧州連合)やNATO(北大西洋条約機構)には加盟せず、通貨のユーロも導入していません。
アルプスと平和の国②
スイスは山国のため耕地がほとんどなく、昔は穀物が取れず、貧しい国でした。
若者は傭兵としてヨーロッパ各地に出稼ぎに行っていましたが、その名残りで、今もバチカン市国の衛兵はスイスが行う事になっています。
現在は、ほかに観光業、金融業、機械、電子機器、化学製品などが有名です。
古くから精密機械工業で知られ、特に時計では、世界的に知られたメーカーが幾つもあります。
スイスの時計というと、壁掛けのシャレーの小屋の時計が有名ですね。
スイスの特産品は国民性を表しているというか、とても繊細で正確で、デザインも良く、品質も良く長持ちします。
製品によっては、一生使えるんじゃないでしょうか?
私は個人的には、スイスの特産品の中では、刺繍製品、レース、木彫りなどの手工芸品、オルゴールが好きです。
若者は傭兵としてヨーロッパ各地に出稼ぎに行っていましたが、その名残りで、今もバチカン市国の衛兵はスイスが行う事になっています。
現在は、ほかに観光業、金融業、機械、電子機器、化学製品などが有名です。
古くから精密機械工業で知られ、特に時計では、世界的に知られたメーカーが幾つもあります。
スイスの時計というと、壁掛けのシャレーの小屋の時計が有名ですね。
スイスの特産品は国民性を表しているというか、とても繊細で正確で、デザインも良く、品質も良く長持ちします。
製品によっては、一生使えるんじゃないでしょうか?
私は個人的には、スイスの特産品の中では、刺繍製品、レース、木彫りなどの手工芸品、オルゴールが好きです。
アルプスと平和の国①
2014年は、日本とスイスが友好通商条約を結んでから、実に150年という年月が経ちました。
ですから今年は、日本とスイスの国交樹立150周年記念という事で、様々なイベントが行われています。
日本は敗戦後、民主主義の平和な現在の国を築きましたが、スイスはやはり敗戦がきっかけだと思われるのですが、国民皆兵の義務があり、家には銃を保管し、核シェルターが義務付けられています。
日本は敗戦後、「武器は持たない」「戦争はしない」という事によって平和を実現しましたが、反対にスイスは敗戦をきっかけに、周りをたくさんのヨーロッパ諸国に囲まれているスイスは、「いざという時には自分達の国は自分達で、平和は自分達で守らなければならない」と思ったのかもしれません。
スイスは日本のように、「非武装中立」ではなく、軍事力を持つ事によって、平和を守ろうとしています。
また日本は戦後、目覚ましい復興を遂げて経済大国になりましたが、スイスもその昔、若い人達の尊い血の代償として、外貨を稼ぎ、そのお金で銀行業、金融業が発達し、現在のような豊かな国を築いたという歴史があります。
ですから日本とスイスは、それぞれに平和で豊かでも、全く違った歴史と方法で平和と豊かさを築いたと言えるでしょう。
スイスは、ドイツ、フランス、イタリア、オーストリア、リヒテンシュタインの5カ国に囲まれた内陸国として、アルプスの美しい景色で知られています。
「永世中立国」としても有名で、多くの国際機関の本部があります。
人口は愛知県と同じ位で、面積も日本の九州より少し大きい位です。
ですから今年は、日本とスイスの国交樹立150周年記念という事で、様々なイベントが行われています。
日本は敗戦後、民主主義の平和な現在の国を築きましたが、スイスはやはり敗戦がきっかけだと思われるのですが、国民皆兵の義務があり、家には銃を保管し、核シェルターが義務付けられています。
日本は敗戦後、「武器は持たない」「戦争はしない」という事によって平和を実現しましたが、反対にスイスは敗戦をきっかけに、周りをたくさんのヨーロッパ諸国に囲まれているスイスは、「いざという時には自分達の国は自分達で、平和は自分達で守らなければならない」と思ったのかもしれません。
スイスは日本のように、「非武装中立」ではなく、軍事力を持つ事によって、平和を守ろうとしています。
また日本は戦後、目覚ましい復興を遂げて経済大国になりましたが、スイスもその昔、若い人達の尊い血の代償として、外貨を稼ぎ、そのお金で銀行業、金融業が発達し、現在のような豊かな国を築いたという歴史があります。
ですから日本とスイスは、それぞれに平和で豊かでも、全く違った歴史と方法で平和と豊かさを築いたと言えるでしょう。
スイスは、ドイツ、フランス、イタリア、オーストリア、リヒテンシュタインの5カ国に囲まれた内陸国として、アルプスの美しい景色で知られています。
「永世中立国」としても有名で、多くの国際機関の本部があります。
人口は愛知県と同じ位で、面積も日本の九州より少し大きい位です。
スイスとオーストリア
当時の旅行ガイドブックは、スイスとオーストリアがセットになって、旅行ガイドブックとして売られていました。ですからスイスの旅行ガイドブックを買えば、当然オーストリアについても載っています。
またスイスとオーストリアの間にある小さな国、リヒテンシュタインも一緒に掲載されています。
オーストリアのガイドブックの写真集を見ていて、子供心に特に印象に残ったのが、チロル地方でした。スイスと同じように美しいのです。
そしてガイドブックや写真集だけではなく、オーストリアの風景を目に見えるようにしてくれたのが、映画「サウンド・オブ・ミュージック」でした。
後になって、クリスマスの時に歌う、あの有名な「きよしこの夜」が生まれたのもチロル地方だという事を知り、スイスだけではなく、ますますオーストリアを訪ねたいという思いが強くなりました。
オーストリアは、スイスと同じ永世中立国です。
こうして一冊の児童文学からスイスに憧れ、スイスへの憧れは隣国のオーストリアへ、
やがてスイス、オーストリアの憧れから、ヨーロッパ、北アメリカ、オセアニアと、興味と関心は広がって行きました。
現在はスイス、オーストリアを中心にヨーロッパ、北アメリカ、オセアニアの地理や歴史、文化、文学などを学んでいます。
またスイスとオーストリアの間にある小さな国、リヒテンシュタインも一緒に掲載されています。
オーストリアのガイドブックの写真集を見ていて、子供心に特に印象に残ったのが、チロル地方でした。スイスと同じように美しいのです。
そしてガイドブックや写真集だけではなく、オーストリアの風景を目に見えるようにしてくれたのが、映画「サウンド・オブ・ミュージック」でした。
後になって、クリスマスの時に歌う、あの有名な「きよしこの夜」が生まれたのもチロル地方だという事を知り、スイスだけではなく、ますますオーストリアを訪ねたいという思いが強くなりました。
オーストリアは、スイスと同じ永世中立国です。
こうして一冊の児童文学からスイスに憧れ、スイスへの憧れは隣国のオーストリアへ、
やがてスイス、オーストリアの憧れから、ヨーロッパ、北アメリカ、オセアニアと、興味と関心は広がって行きました。
現在はスイス、オーストリアを中心にヨーロッパ、北アメリカ、オセアニアの地理や歴史、文化、文学などを学んでいます。
スイスとの出会い
私は中学2年生(14歳)の時に、一冊のスイスの児童文学と出会いました。
その一冊のスイスの児童文学がきっかけで、スイスという国に興味、関心を持つようになりました。
「スイスって、どんな国なんだろう?」
ふと、そう思った私は、ある時、地元の書店の旅行ガイドブックのコーナーに行き、スイスの旅行ガイドブックを手に取ってみました。
表紙はアルプスの山と、美しい花の咲き乱れる緑の草原でした。
ガイドブックの写真を見て感動しました。
サンモリッツ近郊のシルヴァプラナ
エンガディンの山村とイン川のほとり
グリンデルワルトの町から見たヴェッタ-ホルン
インターラーケンとその間のトゥ-ン湖、ブリエンツ湖
トゥ-ン湖畔の町シュピーツ、ブリエンツのロートホルンのSL
クライネ・シャイデック
ツェルマットの町とマッターホルン
「なんて綺麗なんだろう」
私は思わず、その手に取った一冊のスイスの旅行ガイドブックを購入し、家に帰って見続けました。
こうして当時まだ中学生だった私は、スイスという国に憧れを抱くようになりました。
そしていつかスイスに行ってみたいと思うようになりました。
やがて大人になり、子供の頃に抱いた夢が実現し、スイスへ行きました。
飛行機がスイスに近付くにつれて、飛行機の窓から見える、雲の間から見えるスイスの景色に胸を躍らせました。
子供の頃からの憧れだったスイスに、とうとう来たのです。
夢ではなく、とうとう本当に着いたのです。
訪れたのは、インターラーケンやグリンデルワルト周辺のユングフラウ地方でした。
スイスで私は、まるで子供のように走り回りました。
実際に今、スイスにいる事が嬉しかったのです。
ガイドブックの写真などではなく、現実にスイスの大地を、自分の足で踏んでいるという事が嬉しかったのです。
旅行ガイドブックで眺めていた写真の場所が、そこにあるのです。現実に目の前にあるのです。
実際にスイスを訪れてみて、旅行ガイドブックの写真以上に、美しい綺麗な国でした。
時間の経つのは早いものです。
初めてスイスを訪れた時から、あれからもう7回もスイスを訪れています。
何度でも行きたくなる、そんな魅力がスイスにはあります。
7回もスイスを訪れて、
「何回来ても綺麗な国だなぁ、こんな所に住めたら幸せだろうなぁ」
そう思いました。
もちろん「ずっとスイスに住み続けるという事」ではなく、「日本とスイスを行き来して」という形ですが、やがて本当に住む事になるとは、この時はまだ知りませんでした。
その一冊のスイスの児童文学がきっかけで、スイスという国に興味、関心を持つようになりました。
「スイスって、どんな国なんだろう?」
ふと、そう思った私は、ある時、地元の書店の旅行ガイドブックのコーナーに行き、スイスの旅行ガイドブックを手に取ってみました。
表紙はアルプスの山と、美しい花の咲き乱れる緑の草原でした。
ガイドブックの写真を見て感動しました。
サンモリッツ近郊のシルヴァプラナ
エンガディンの山村とイン川のほとり
グリンデルワルトの町から見たヴェッタ-ホルン
インターラーケンとその間のトゥ-ン湖、ブリエンツ湖
トゥ-ン湖畔の町シュピーツ、ブリエンツのロートホルンのSL
クライネ・シャイデック
ツェルマットの町とマッターホルン
「なんて綺麗なんだろう」
私は思わず、その手に取った一冊のスイスの旅行ガイドブックを購入し、家に帰って見続けました。
こうして当時まだ中学生だった私は、スイスという国に憧れを抱くようになりました。
そしていつかスイスに行ってみたいと思うようになりました。
やがて大人になり、子供の頃に抱いた夢が実現し、スイスへ行きました。
飛行機がスイスに近付くにつれて、飛行機の窓から見える、雲の間から見えるスイスの景色に胸を躍らせました。
子供の頃からの憧れだったスイスに、とうとう来たのです。
夢ではなく、とうとう本当に着いたのです。
訪れたのは、インターラーケンやグリンデルワルト周辺のユングフラウ地方でした。
スイスで私は、まるで子供のように走り回りました。
実際に今、スイスにいる事が嬉しかったのです。
ガイドブックの写真などではなく、現実にスイスの大地を、自分の足で踏んでいるという事が嬉しかったのです。
旅行ガイドブックで眺めていた写真の場所が、そこにあるのです。現実に目の前にあるのです。
実際にスイスを訪れてみて、旅行ガイドブックの写真以上に、美しい綺麗な国でした。
時間の経つのは早いものです。
初めてスイスを訪れた時から、あれからもう7回もスイスを訪れています。
何度でも行きたくなる、そんな魅力がスイスにはあります。
7回もスイスを訪れて、
「何回来ても綺麗な国だなぁ、こんな所に住めたら幸せだろうなぁ」
そう思いました。
もちろん「ずっとスイスに住み続けるという事」ではなく、「日本とスイスを行き来して」という形ですが、やがて本当に住む事になるとは、この時はまだ知りませんでした。
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